はたのだいの歴史
旗岡(はたがおか)あるいは旗の台という地名は、平安時代に源頼信が下総の平忠常の乱を平定に赴く際、このあたりの台地に陣を張り、源氏の白旗を立てて戦勝を祈願したといわれることから付けられました。
見どころ
- お稲荷さん(旗の台稲荷神社)
地域の守護神。ここの社務所は、町内の集会場の役割を持っています。
- リボン
品川区の運営するリサイクルセンター(平成9年12月オープン)で、皆利用しています。
- 旗の台文化センター
児童センター、児童公園、体育館、会議室等の区民施設があります。
- 昭和大学病院
東口正面にそびえる旗の台のランドマークタワーです。
- 石造庚申供養
古くから中原街道に面して建てられていた庚申供養塔で、道端の小さなお堂の中に収められています。寛文5年(1665)に造立されました。施主として刻まれた村人の名前には、鏑木、石井など、中延の旧家の姓も見えます。
13世紀、この付近の領主となった荏原左衛門義宗(1231〜85)が、自らの居館を寺とした法蓮寺の境内に、曽祖父といわれる源頼信(968〜1048)から受け継いだ八幡大神(誉田別命/ほんだわけのみこと)の神像を祀り、この地域の鎮守としたのがはじまりといわれています。
江戸時代には、源氏ゆかりの神社ということで、将軍家以下の武士階級に尊崇され、2代将軍徳川秀忠が祈願所としたほか、将軍家や他の大名家から多くの寄進を受けていました。とくに弓術者の信仰は厚く、毎年2月15日には、各地から集まった武士たちにより、弓の競射が行われました。今も続く「甘酒祭り」は、この競射のあとに甘酒がふるまわれたことに由来するのだそうです。
戦災で社殿等を焼失し、現在の社殿は昭和39年(1964)の再建ですが、境内左手の絵馬堂だけは焼け残り、江戸時代に奉納されたものも含め、多くの絵馬が掲げられています。
祭礼は9月の第2土曜・日曜。日曜の午後は6つの町会の御輿が南町会の旗の台稲荷前に集まり盛大に各町会をまわります。この「連合御輿」は迫力満点。また、子供たちが参加できる山車、子供御輿や土曜の夜は宵宮も行われます。地元の方でなくても参加大歓迎です。
鎌倉時代の中期、文永年間(1264〜75)に、荏原左衛門義宗の末子であった郎慶(徳次郎)を開山に、荏原氏の居館を寺として創建されたと伝えられます。旗岡八幡神社とともに源氏ゆかりの寺として、「八幡山」の山号がつけられ、近隣の中延5・6丁目付近には「源氏前」という古い地名が残されています。
毎年10月16日が当寺のお会式(日蓮上人の忌日=10月13日に行われる法会)で、多くの人が万灯や纏、太鼓を持って集まり、大いに賑わいます。
また、荏原七福神のうち、恵比寿神が祀られています。
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