「ボスのおもひで」・・・彫伊馬蹄・・・

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◆第2話

 

 祭りが近づくとこの町もにわかに活気づく。商店街の大人たちも婦人会のおばさんたちも、勿論僕らもそわそわし始める。反対に学校の先生たちは、またもや厄介な季節がやって来ることを恨めしく思いつつも「仕事の一貫として」「これも公務員のお給金の内」などと自分に言い聞かせてその日に備えるのであった。

 わが町の祭りは九月に行われる秋祭りだ。この時期は秋を感じ始めつつも、まだまだ暑い日もあるようなそんな季節だ。こんな気候的にも気持ちのよい季節を市井の人々の一年間の節目とした昔の人たちは大正解だ。

 この町のほとんどの人は日々の生活に追われ、これといった楽しみもなく家族と共に働き続ける。特に商売人は、サラリーマンに比べて一日一日に大きな変化はない。だから、年一回の一銭にもならない祭りの準備に、仕事後の熱い夜に酒をあおりながら黙々と精を出すのである。

 そう、ではなぜ先生たちは気が重いのだろうか。それは、僕らが年に一回の大人公認の「大ハメはずし大会」を展開するからなのである。

 教育委員会傘下の彼らとしてみたら、そんな不良養成学校のようなお祭りを黙認することは出来ないのである。夜の神社の出店の巡回は当然のこと、校区内に五つある町会へそれぞれ先生が派遣され、我々を監視するために昼間は担ぎたくもない御輿まで担いでしまうのだ。

 そんな先生方のことを大人たちは、

「先生と名のつく奴にろくな奴はいない」

 とかなんとか言って、

「まあまあまあ」

 と、にこやかに近づいていき、酒を大量に飲ませて潰してしまうというのが筋書きだった。つまり、これにより僕たちは公務員による戒厳令から無事に解放されるのだ。

 これは、大人たちが僕らのためにこうして援護射撃をしてくれているのではなく、ただ単におもしろおかしく年一度のお祭りを楽しんでいるといった、ただそれだけのことなのであった。

 僕らは徐々にテンションを上げて、祭り前のこの数日間を過ごしたものだ。

 そんな中、ルソーへボスを告訴する日が水曜日と決まった。この情報を知っているのは、我グループ七人中の五人。ボスと他の二人には絶対にバレない様に、帰宅後に竹田君と加東君が夜の路地に自転車を走らせ、口頭で各人に詳細が伝えられた。裏切り者を出さないため、メンバー同士の電話での連絡もXデーまでは禁止された。

 次の水曜日、朝七時半、教室集合。親には球技大会の朝練だということにすること。用務員さん、先生に登校途中会っても、いつもどおりに挨拶をすること。時間は絶対厳守のこと。以上が連絡内容だった。

 前日の火曜日までを我々志士たちは、いつもどおりに過ごした。学校でも下校後のグラウンドでも、ボスのイジメにいつもどおり加わり、例え志士の中の誰かがその日の生け贄に選ばれたとしても、決して手を抜かずボスと一緒になってイジメ続けた。

 その日もいつも通りに、

「バーイ」

「じゃあな」

 と、交差点ごとに次々と自転車が別れて行く。

 

 その夜、夕食も終わりテレビを見ていると父に、

「電話だぞ」

 と、呼ばれた。

 電話に出ると、それは幹彦君からだった。彼はみんなに秀哉君とともに、ボスに近い人物と見られ、明日のXデーの情報は知らされていない。

 幹彦君は第一声をこう切り出し、僕をぶったまげさせた。

「俺も明日行くつもりだ」

 僕はシラをきって、

「どこに?」

 と聞き返した。

「なんで俺に声をかけないんだよ。俺が一番苦しんでる。早く卒業したいよこんな学校」

「誰に聞いたんだ、明日のこと」

 彼は、それは言えないが悔しくてたまらず、誰かに自分の気持ちを言いたくて僕に電話してきたという。

「なんで俺に電話した」

 すると、

「お前なら竹田や加東にちゃんと話してくれると思った」

 僕は活火山化した、富士山の噴火口に突き落とされた気持ちになった。

 僕は電話を切るとルールを無視して竹田君の家の番号をダイヤルした。呼び出し音が鳴っている間、頭の中の全細胞がフル稼働していた。裏切り者がいる。一体誰なんだ。竹田君と加東君に直接電話が出来なかったので僕に電話がかかってきた。ということは加東君はシロだ。残るは藤谷君か河井君。しかし河井君は裏切るような奴ではないし、ということは犯人は藤谷君か。

 電話がつながり家族の人に名乗った。電話口に竹田君の近づいて来る気配が感じられた。

「もしもし、電話はだめだと言っただろ」

 僕は緊急事態だと言い訳をして、幹彦君からの電話の件をなるたけ詳しく話した。しばらく竹田君は黙っていたが、怪しいのは藤谷君ではないかと言った。藤谷君と幹彦君は家も近所で親同士も親しい。ちょっと気の弱い藤谷君が不安になって幹彦君に喋ってしまった可能性は高い。

「明日どうする」

 僕が聞くと、

「いまさら変更できない。先生とも約束をしちゃったし」

 続けて竹田君は僕にこう言った。

「このことは秘密だ。誰にも言うな。幹彦には俺から電話する」

 そう言い終わると電話が切れた。

 何てこった。これじゃあ親にばれている可能性だってある。現に父だって今の電話の内容をおかしいと感じたかもしれない。

 翌朝、集合場所には幹彦君も顔を出した。みんなの顔に不安が走ったのが分かったが、竹田君が一言、

「こいつは大丈夫だ」

 と言い、一応この場は治まったかのように見えた。

 しかし、本当は僕と竹田君の心の中は不安で爆発しそうだった。時間を五分過ぎていたのに、藤谷君だけがいなかったからである。藤谷君のことにはみんな別に触れなかった。遅れてしまったくらいにしか思わなかったのだろう。

 僕らは会談場所に指定された図書室に向かうため、自分たちのカバンや帽子をそのままにして教室を出た。

 ボスに対する告訴会談は予想していたとおり型どおりのものだった。はっきり言って二十代後半のルソーには経験も不足していたし、性格的にもこの問題を職員会議などの上の機関へ上げるだけの器量もなかった。

 先生は一人一人に、

「君はどう思う」

 と、聞いては溜息をもらし、メモをとるだけだった。

 ボスの悪評は、もちろん先生方の間でも周知の事実だった。しかし上司やPTAからのプレッシャーを恐れるあまり、ほとんどの教師が事無かれ主義の布団で寝起きをしている現状だった。

 だから、そんな立場にあるルソーを責める訳にはいかない。でも僕らの切羽詰まったこの気持ちを汲み取っても欲しかった。この反乱がもしボスにバレたとしたら、それこそ殴られ、辱めを受けるのはまちがいない。僕らはそれをも覚悟の上で結束し行動を起こしたのだ。

 でも大人たちにはこの恐怖感、我々の闇の世界の掟を理解することは所詮不可能だということも、実は僕らはうすうす感じていたのだった。

 今考えると高度経済成長の時代に大学を出たエリートたちに、この世界のことが分かるわけがなかった。もしこの世界から成り上がって教師になった者がいたとしても、教師の立場からこの世界を客観的に理解することは百パーセント出来っこない。教師自身が今まさに教師の立場で当事者になっている訳で、冷静な判断能力など期待する方が全くもってまちがいだった。

 始業時間が近づいていた。その頃ボスたちも登校していたが、いつもと違う雰囲気に気づき始めていた。

「みんなどこに行ったんだ」

 秀哉君が聞かれても分かる訳がない。

「よし、探しに行こうぜ」

 ボスは僕ら五人のカバンや帽子が教室にあるのを確認していた。そして勘の鋭い彼は、こみ上げて来る不安を自身の中に感じていたことだろう。

 ガラガラと、図書室の扉が開く音がした。僕ら五人の心拍数は一気に高くなった。ルソーの顔にも「まずいな」という感じがにじみ出ていた。

 入口の扉のすぐ内側にある本棚に全員の視線が集中した。そして数秒後本棚の陰から現れたのはなんとスージーだった。

 スージーの後から二、三人の女子生徒が自習のためにこの図書室へ入って来たのだ。スージーは僕らの険しい恐怖に彩られた表情を見て、一瞬たじろいだが軽くルソーに会釈をすると奥のテーブルの方へ消えた。

「よし、みんなの話の主旨は分かった。今度は彼も呼んで話し合おう」

 そう言うとルソーは席を立って僕らにも退場を促した。

 この最後の台詞で、我ら志士の夢ははかなくも散ったのだった。それも夢が散っただけではない。我々の反乱が公になったのだから、ボスからもそして教師からも反乱分子というレッテルを貼られ、これから恐怖の日々を過ごさなくてはならないのだ。時間が経てばこのことはPTAへも伝わり、また父たちの登場となるのは目に見えていた。

 ただ逆にはっきりしたのは、ただちに次の手を今度は自分たちだけの手で打たなければならないということだった。

 人を信じてはいけない。人を頼っていけない。自分の問題は自分で解決する。

 この世界の基本ルールを、もう一度再確認した苦い朝だった。

 教室へ戻るとそこにはボスと秀哉君が当然待ちかまえていた。五分ほどはいつもどおり振る舞っていたボスが突然幹彦君に、

「みんなでどこに行っていたんだ」

 と、聞いた。

 幹彦君は、

「ルソーと話をしていたんだ」

 と、答える。

「どういう話だ」

 次第にボスの声のトーンが上がっていくのが分かる。

 幹彦君はボスの肩越しに竹田君の顔をチラッ見た後、

「・・・・言えない」

 と、ボソッと答えた。

 瞬間的にボスの平手打ちが幹彦君の頬に炸裂した。そして続けざまに後頭部をはたかれ、腕を捕まれた後、足っぱらいで倒された。間髪を入れず今度は倒れた幹彦君の背中にまたがり、インディアンデスロックにもっていった。

 この間僅か七秒くらいの早業だった。

 ボスは好んでプロレス技を僕らにかけた。コブラツイスト、卍固め、バックドロップ、ブレーンバスター。勿論バックドロップとブレーンバスターは厚めの体育用マットの上での話である。幹彦君にかけたインディアンデスロックから弓矢固めにもっていく連続技もボスのお気に入りの一つだった。

 おそらく彼は兄貴の影響で、というよりも兄貴にやられたことをそのまま僕らにやり返しているというような感じだったのだろう。

 昨夜、電話で幹彦君が言っていたとおり、彼は根性を見せ勇敢にボスに刃向かった。

 竹田君がボスに何かを言いかけたところで、チャイムが鳴り、それとほぼ同時にルソーが教室に入って来て、みんな慌てて席にガタゴトと着いた。

 とりあえずこの場は、プロレスで言うゴングならぬチャイムに助けられた。

 

 革命前夜。Xデーを境に、ボスは放課後僕らを無理矢理遊びに誘うのをピタリと止めた。竹田君、加東君はじめ、みんなは、ひとまず胸を撫で下ろし一時の自由と休息を味わった。

 しかし、ここで一息ついている暇は今の我々にはないということを、みんな口にこそ出さないが分かっていた。ボス抜きの僕らは、放課後、町のある場所に集まり今後の計画を練った。

 この反乱の情報は、三日目には他のクラス、他の学年、そして職員室、PTAと予測どおりのスピードで完全に認知されるところとなった。

 情報が広まるにつれ、協賛者ともいうべき奴らからの接触が我々に対して始まった。つまりボスを快く思っていなかった周りの先輩や他クラスの連中が「よくやった」とか「協力するぜ」とか寄って来たのだ。具体的にはチョコレート野郎の山上とその一党、そして一学年上の肉屋の次男坊率いる一党などだ。

 ちょっと驚いたところでは、あのネズミ男たちまでがボスの縄張りの隙を突いて権力を拡大しようと、動き始めたらしい。

 彼らはただのイタチ野郎どもだ。自分たちではボスに何も文句を言えないくせにちょっと状況が変わると手の平を返して蠢き出す。僕らにとって奴らは何のメリットもない。むしろこの革命が成就した後に、大いに邪魔者になるであろうことが予想された。

 そんな連中を僕らは適当にあしらいながら計画づくりに没頭した。

 同じクラスの野毛君から、彼の母親から聞いたというある出来事を聞いた。それはボスの母親が話したというもので、あのXデーの日から家庭内でのボスの口数が急に減り、食欲が落ちているというものだった。心配になった母親は我が子に「どうしたのか。学校で何かあったのか」と聞いてはみたが、ボスは何も答えずにいたそうだ。その姿が今までにない様子だったので、母親はますます心配になり、PTAのクラス委員である野毛君のお母さんに相談をしたというわけだ。近くボスの母親がルソーに相談するために学校を訪れるらしい。

 聞くところによるとボスは家ではとても良い子で、親の言うこともよく聞き、家事なども手伝う模範児だそうである。

 ある女性教師が一度、母親に、「友達に対して乱暴だ。家の方でも気をつけて注意してくれ」と言ったことがあった。その時の母親の驚きよう様といったらなかったそうである。

「そんなことは信じられません。うちの子はよその子をぶつようなことは絶対にするはずはありません」

 と、言って涙ぐんだというのだ。

 僕らから見てもボスの母親はとてもいい人だったし、このような話を聞くとちょっと心が痛む。聞くところによると母親は再婚で、今の父親はボスの本当の父親ではなくステップ・ファーザーらしい。

 今考えると、だからボスは休日も僕らを誘って外で遊び回っていたのだろう。家の中にいてもこの父親がいるのでは心からリラックスができなかったのに違いない。

 とにかく事態は確実に進展していた。油断は禁物だ。あらゆる情報がグルグルと駆け巡り僕らの耳に入ってくる。同じように僕らに関するマイナス情報も四方八方へ流れ出ているということなのだ。

 

 砦に於ける最終準備。今やこの作戦のリーダーは誰が決めるともなく竹田君になっていた。しかし今までのような独裁政権ではなく、話し合いで決まった各々の役割を竹田君が束ねているという、この世界では初めての試みでもある合議制が成り立っていた。

 それぞれが意見を述べ合う分、責任も大きくなった。なにせ少数精鋭で動いているのだから、一人のちょっとしたミスが計画全体の失敗につながるかもしれないのだ。

 線路沿いの秘密基地で各担当の調査報告会が行われようとしていた。暴風林として竹が五十本ほど植えられたこの場所は、目の前を五分おきに電車が通り過ぎ、後ろは急勾配の崖になっている、いわば僕らのメインの砦だった。

 この砦は僕が志士のために提供したものだ。ずっと僕自身の隠れ家として使用していたものを今回の計画のために少し惜しかったがみんなに明け渡した。我ら志士五人のほかに、この砦のことを知る者はいない。

 地面には竹笹の葉が絨毯のようにやわらかく折り重なっていて心地良い。ここが人目に触れることは、ほとんどない。と、いうのも鉄道会社の敷地の中にあり、一般の通行人は入ってこれないからだ。僕らは秘密の通路をつたってこの笹の葉の中に紛れてしまえば絶対に見つからない。

 民家は線路から反対方向に離れて建っているし、崖の下の建物は鉄道会社の作業員の宿泊所のためのプレハブで昼間は誰もいない。しかも僕らのひそひそ声が万が一聞こえたとしても定期的に通る電車の音でかき消され、内容を盗み聞くことは不可能だった。

 まず竹田君が口火を切った。

「俺は昼間山上と話をしたんだ。あいつは相当奴を恨んでる」

 みんなは真剣にこの話に集中していた。

「山上の話によると、奴は秀哉とともに一つ下の連中と放課後遊んでるらしいよ」

 河井君が口をはさんだ。

「一つ上の転校生が連中を仕切ってるんだ。気持ち悪い奴だぜ」

 ネズミ男のことだ。僕も河井君に同感だ。

 竹田君は河井君が続けようとするのを遮って、

「そうだ。あのネズミ男と奴はどうやら組むらしい。何を考えているのかは分からないけど、俺たちになにかしらプレッシャーかけてくるだろうな」

 竹田君が一息入れるのを確認してから僕は意見を述べた。

「あのネズミ男たちは大して怖がることはないよ。それより奴の兄貴の方が怖いんじゃないか。それに奴はほかの学校にも顔がきくんだぜ」

 後ろでガタンという音がして、タッタッタッと走ってくる足音が近づいて来た。

 ドサッと笹の葉の絨毯の上に飛び込んできたのは、ボスのマンションに偵察に行っていた幹彦君だった。

 これで全員そろった。

 幹彦君が荒い息をハアハアさせながら顔を上げた。

「どうした、その顔!」

 加東君はじめ、そこにいた全員が驚いた。

 唇が切れ、シャツの首の部分がビローンと伸びてしまっていて、顔全体が真っ赤に上気していた。顔が紅潮しているのは殴られたからなのか、興奮して走って来たからなのかは定かではなかった。

 みんなの見守る中、幹彦君はちょっと落ち着きを取り戻してから話し始めた。

「俺がマンションを見張っていると秀哉が自転車で現れたんだ。俺は秀哉を駐車場の車の後ろに連れてって『なんでボスにヘラヘラするんだ。もうそんな必要はないし、奴から離れてろよ』と言ってやったんだ」

「そしたら『お前に言われる筋合いじゃない。ボスは俺の友達なんだ。友達に手出したらただじゃおかない』と言っていきなりプロレス技をかけられた」

 秀哉君がヘッドロックをかけながら語ったのは、半年前の出来事だった。それは、遊びで遅くなった帰り道、ボスと秀哉君が当時オープンしたばかりの学習塾の前を通りかかった時にその事件は起きた。

 商店街を一本入った路地の雑居ビルにあるその学習塾は、この辺りの小中学生の親に最近評判の塾だった。地区内にも教室がすでに何件かあり、僕らの町にもとうとう進出してきたのだ。この学習塾には電車で他の町からも親の期待を背負った凡才たちが集まって来ていた。どうもボスたちは、そんなよそ者のグループと口論になったらしい。

 秀哉君の自転車のカゴが塾から出てきた一人と接触した。秀哉君は知らんぷりしてそのまま走り去ろうとして呼び止められ喧嘩になった。ボスはきっと、いつもの通り秀哉君の後ろでジッとその場の様子を見守り、ひたすら状況の把握に努めていたのだろう。だいたい想像はつく。

 秀哉君が相手にプロレス技をかけた時、リーダー格がビルの中から飛び出してきて秀哉君を突き飛ばした。その後ろからはゾロゾロとこの辺りではあまり見かけない、ちょっとお坊ちゃん風の凡才集団が集まってきた。

 第一に着ているものがVネックの白いセーターだとか手編みのマフラーだとか女々しかった。僕らは通常ジャンパーにズボンという格好で、まちがってもマフラーだとか襟巻きなんてものを男児たるや、するべきではないと思っていた。というよりも誰も持っていなかった。

 リーダー格がボスと秀哉君に大きな声で言った。

「タイマンだ!」

 タイマンとは、双方代表を一人づつ出しみんなの見守る中、一対一で決闘をして勝敗を決めるという、かっこよくそれでいて合理的そうな方式だ。

 しかし大抵の場合、代表同士の取っ組み合いが白熱してくると入り乱れての乱闘となって収集がつかなくなるのを常としていた。お互い腹が立って喧嘩するのだから、細かいルールなんて関係ないのは当たり前だ。

 相手十人に囲まれながら二人は会場となる坂の上の公園へ移動した。

 会場に着くと囲まれながら、脅し文句の洗礼にあった。こういう場合、言葉によって少数の方が精神的に追いつめれていくものだ。

「タイマンじゃなく、いますぐここでリンチしてもいいんだぜ」

 リーダー格の男がすごんでみせた。

 ここで初めてボスが口を開いた。

「ここをどこだと思ってるんだ。今度お前らに会う時は、先輩を連れて来るからな」

 リーダー格の男の声がちょっと低くなった。

「おもしろい。俺も今度先輩を連れて来るよ」

 この時点で秀哉君の頭に上った血も引いていて、冷静さを取り戻していた。

 ボスもこの一言を言ってはみたが、どう見ても十対二じゃあ話にならない。二人が熱くなっていた塾の前からこの公園に移動させられた時点で勝負は決まっていたのかもしれない。喧嘩はどれだけ頭にきているかで勝敗が決まると言っても過言ではないからだ。

「リンチがいやなら土下座しろ。そうしたら許してやる」

 秀哉君とボスは顔を見合わせた。秀哉君は逃げるべきか、やるべきかボスの考えていることをボスの表情から読みとろうとした。ボスは思考回路をフル回転させている最中のようだった。

「どうすんだ。早く決めないとやっちゃうよ」

 リーダー格の隣りに立っていたVネックを着てニヤニヤした小僧が発したこの声に秀哉君は敏感に反応した。

 はっきり言って、まわりに仲間がいなかったらこのVネック小僧は何も出来ない腰抜け野郎に決まっている。状況に応じて掌を返す、こういうコウモリ野郎が必ずどこにでもいる。

 冷めきっていた秀哉君の頭に瞬間的に血の気が噴き上りVネックの左頬へ強烈な右フックが炸裂した。Vネックは尻餅をついたがすぐに立ち上がろうとした。

 次の瞬間、リーダー格が秀哉君を横から抱え込もうとしたのを秀哉君は屈んでかわして、立ち上がりかけていたVネックに後ろ回し蹴りをお見舞いした。Vネックは涙目になり口からは泡を吹いていた。

 回し蹴りでバランスを崩した秀哉君の胴をリーダー格がタックルして地面に倒れ込んだ。その上にまわりの七、八人が覆い被さっていく。

「やめろー!やめろー!」

 ボスは叫びながら、人山を上から一人また一人と払いのけ、リーダー格の襟首を掴んだ。

「俺が土下座する。だから、そいつから手を離せ」

 ボスのこの言葉を聞いてリーダー格はゆっくりと用心深く秀哉君から手を離し立ち上がった。

 ボスは公園の凍てついた地面に両膝をつけ、ゆっくりと頭を下げた。

「もっと低く下げな」

 リーダー格はボスの頭を足の裏で踏みつけ、頭を地面に叩きつけた。ゴツンと音がした。

 秀哉君は三人に押さえ込まれていて身動きがとれなかった。その動けないのを確認してからVネックは秀哉君の顔を横目で見て、土下座するボスの方へ近づいて行った。ほっぺたと口のまわりを真っ黒にしながら、今にも泣き出しそうな顔をして手に持っていた缶コーヒーの中身をボスの頭へドボドボッと空になるまでかけつづけた。

「ヘヘッ、よかったな、お前じゃなくて」

 なんてことだ。ボスは自分のためにこんな屈辱を受けているんだ。秀哉君は情けなくて口惜しくてボロボロと涙を流した。

 幹彦君はひととおり話し終えると他の四人の顔を見回した。

「どうして俺らに話さなかったんだろう」

 加東君が疑問を投げかけた。

 確かにこの半年前の事件について僕も全く知らなかった。ボスと秀哉君のトップシークレット事項だったのだろう。共に泥を噛む体験をしたからこそ、我々の目にも『秀哉君はボス寄りの人物』と映っていたに違いない。

「よその奴らに土下座させられたことを奴が俺らに話せると思うかい」

 竹田君の言うとおりだと思った。僕らを束ね続けるためには、ある程度の恐怖を植え付けておかねばならない。状況によって頭を下げるという行為は、ボスと呼ばれる男には絶対に許されないし、またそれによって威信を失うということは、彼にとって全てを失うということにつながるのだ。

 しかしながら、百パーセント秀哉君のために頭を下げたと思わせ、秀哉君に永遠の忠誠を誓わせることができるのが、この男の凄いところだ。

 その半面、この土下座事件を聞いて、ボスのお母さんがこぼしたという食事がのどを通らないという話も本当かもなと、僕は感じ始めていた。恐れる程の男ではない。本当は弱い卑怯な男なのだと僕はもう一度心の中で復唱し唾を一つ飲み込んだ。

 とにかく、この話が我々みんなに伝わったということで、ボスは立場的にますます追い込まれることとなったのは間違いない。

 

→→→◆第3話へ続く

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