「ボスのおもひで」・・・彫伊馬蹄・・・

前ページへ戻る


◆第3話

 

  人々はペットを自分の分身のように優しく優しく抱擁するものだ。普通は時折一緒に散歩などして、まわりの人たちに自分のペットの存在を認知してもらうのと同時に、いかに自分がペットをかわいがっている優しく情け深い人間かということをアピールしたくなるのが人情だ。

 僕は犬や猫を散歩させている人たちに対して強い嫉妬心を抱いてしまう。なぜかと言えば僕のペット、金魚の三平は抱擁することもできなければ、一緒に町を散歩することもできないからだ。

 小型の金魚鉢を買って、それを台車に乗せて引っ張ってみようかというようなことも真剣に考えたこともあったほどだ。

 実はさっき僕の人生にとって大事件が発生したのだ。

 家に帰ってくる途中で犬の散歩をするスージーを見かけたのだ。そして何と僕はスージーと会話を交わしてしまったのだ。この硬派を通してきた僕もスージーにかかっては、もうグニャグニャになってしまっていた。

 スージーのその犬は小型の座敷犬で、たぶんマルチーズかなにかだろう。マルチーズと言えば、ちょっとお金持ちのお嬢さんか帰国子女のハイソサエティの匂いを連想させる。

 スージーの家はそんなに大金持ちではないにしても、それなりのナイスな家庭環境をもっていたのだと思う。

 僕は自転車でゆっくりと近づきながら彼女の一挙手一投足を注意深く観察してみた。ちょっと浅黒い肌と真っ直ぐな黒い髪がとてもさわやかな少女だった。犬を散歩させているその姿からは、彼女が心からこのマルチーズを愛しているという感じがラジエートされ続けていて、何故かそれを見ている僕までもが、心の中がくすぐったいような感覚に巻き込まれずにはいられなかった。

 スージーは近づく僕に気が付いた。そして僕を見つめると軽く会釈をした。

 緊張感が一気に押し寄せて来た。でもそれをスージーに悟られるのは絶対にいやだった。もうここはハッタリしかない。「この世は全て演技である」と自分に言い聞かせて震える足に力を込めてペダルをこぎ続けた。

 彼女の少し手前でサドルから降りて、四角い笑顔の僕はスージーに話しかけた。

「何してるの?」

 なんと間抜けな台詞だ。犬の散歩をしているのに決まっているじゃないか。

「こんにちは」

 かわいい声だ。ちょっと甲高くて、それでいて気に触る音ではなくて、透明感のある声だった。

 気の遠くなるような間があってから、スージーが頬を紅く染めながら言葉を押し出した。

「どこに行くの?」

 ハッと、僕は我にかえり彼女の瞳を見つめながら

「家に帰るところ。・・・かわいいね、・・・その・・・犬」

 自分は役者には向いていないとつくづく感じた。

 すぐに僕は自転車にまたがり、その場を後にした。

 角を曲がるとドッと額から汗が噴き出した。何がなんだか分からなかった。何故初対面の二人が言葉を交わしたのだろう。

 彼女は僕のことを知っていたのだろうか。同じ学校の生徒だったし、顔ぐらいは見たことがあったのかもしれないし、名前も聞いて知っていたのかもしれない。もしかしたら、密かに僕のことを・・・・などと想像の世界はみるみる膨れ上がっていったのだった。

 

 祭りまであと二日。我々の準備計画もほぼ完成し、志士五人は実施に向けて各自分担された仕事に熱中していた。

 僕の仕事は、五丁目から八幡様までのショートカット、いわば近道を開発することだった。近道といっても通常時に使う地元民の抜け道というようなものではなく、祭りの真っ最中、七基の御輿とごった返す民衆によるパニック状態を想定した上で使用可能なものでなければならなかった。

 連合御輿の通るメインストリートは全く頭からはずして考える必要があった。「迂回して、それでいて最短」がテーマだった。

 連合御輿とはこのお祭りの最大の山場で、これを見ようと観覧者の数も最大となる。三間(さんげん)程のメインストリートが人山で埋まり、交通整理のお巡りさんが御神輿の通り道を笛を吹きながら確保して行かなければ進めないほどだ。この中を七つの町会がそれぞれ一基づつ、合計七基の御輿が一斉に八幡様に向けて進んで行くのだ。

 八幡様から一番離れている我が五丁目のお稲荷さんが、この連合御輿の出発点となっていた。普段は閑散としたこの商店街に、どこからともなく大勢の人々が湧き出てくるから不思議である。

 僕は近道の大体のコースはもうイメージ出来ていた。あとは万が一の場合に備えて予備のコースを考えればいいだけだ。

 この仕事も非常に大切なものであることは十分に分かってはいるのだが、今の僕にはどうしてもスージーのことが頭から離れず、集中しきれないという思いが常に心のどこかに燻っていた。

 そんな風であったので、気がつくと僕の自転車は、昨日スージーと会話を交わした彼女の散歩コースへと向かっていた。

 時間もほぼ昨日と同じだった。万が一スージーに遭遇できた場合に備えて、台詞のシュミレーションを一夜漬けではあったが僕はしっかりと終えていた。ただし昨日の失敗のこともあるし、あまり自信はなかった。なんてたってこのエクササイズの相手は三平だったのだから尚更である。

 街道をスージーの家のある一丁目の方へ渡ろうとしたその時、犬を連れて信号待ちをしているスージーの姿が目に入った。そして隣りに立っている男、しかもスージーと笑顔を交えながら会話をしている男・・・・。

「あっ!」

 と、思わず声を出して僕は驚いた。

 僕と二人の間には、街道をはさんでかなりの距離があり二人の声は聞こえないが、その口パクの雰囲気を見ていると非常に親密な関係が容易に想像できた。

 その男とはなんとボスの兄貴の友人、そう、あの池のグラウンドでボスに貸しを一つ作った人物に間違いないのだ。

 そんな男が何故スージーと。

「ああっ!」

 スージーが僕に気づき手を振っているではないか。最悪だ。しかも車の流れがとぎれ信号が青に変わった。「とおりゃんせ」のメロディに合わせて仕方なく僕は自転車を押しながら、二丁目側から一丁目側へと重い足を引きづるようにその横断歩道を渡り出した。

 横断歩道の丁度中間あたりで僕は足を止め、男の目から視線をはずさずに男に向かって挨拶をした。男は僕を舐めまわすかのように見つめてから

「おうっ」

 と、答えた。

 スージーが男と僕の顔を交互に見てから僕に

「私の兄です」

 と、その男のことを僕に紹介した。

「あっ、思い出した。お前奴の子分か」

 僕が黙っていると男は続けた。

「お前ら反乱起こしてるんだって。かっこいいじゃん。でも気をつけた方がいいぜ」

 スージーは僕らの話を理解できずにきょとんとして立っていた。

 「とおりゃんせ」のメロディが機械的に途中でプツリと切れ、歩行者用信号の青が点滅し始めた。するとスージーは、

「じゃあねお兄ちゃん、行ってらっしゃい。あたしはチノと一緒に家の方へ戻るわ」

 と、言って手を振るとくるりと向きを変え、僕と一緒に一丁目の方へ戻り始めた。

 男は別に何事もなかったかのように駅の方へ歩き去った。

 僕とスージーはお互い無言のまま、駅とは反対側の学校の方角へ緩やかな坂道を上って行った。

「チノ、チノこっちよ」

 スージーは首の綱を軽く引っ張りながらマルチーズの名前を呼んだ。

「チノ。かわいい名前だね」

「ありがとう」

 今日は何か二人の会話も比較的スムーズに流れている感じがした。

「兄のこと知ってたの?」

 と、スージーが聞いてきた。

「ああ、一度グラウンドで一緒になったことがあるんだ。助けてもらったんだ」

 彼女のお兄さんを悪く言わないように気を使いながら僕は慎重に答えた。

「またケンカでしょ。お兄ちゃんのことだから」

 僕は何も答えなかった。

「でもあたしには、とっても優しい兄なの」

 チノは僕らのやりとりとは関係なしに電信柱の前でしゃがみ込み懸命に臭いを残していた。

「あたしはあなたのことを良く知ってるわ」

 スージーの突然の発言に僕は驚きを隠せずに

「えっ?」

「五年一組でお家は五丁目の雑貨屋さん。働き者でとてもいい人。友達が言ってた」

 僕は恥ずかしくて穴があったら入りたい気持ちだった。彼女の友達というのは例の近所に住む女の子のことだ。とすれば小学二年生まで女風呂に入っていたことも、聞いて知っているのに違いなかった。

「お兄さんがあの人だとは知らなかったよ」

 とにかく話題を変えようと試みた。そして一晩考えて練習をしておいた台詞を勢いに任せて言ってみることにした。

「今日の夜、暇だったら一緒に花火をしようよ。暇だったらでいいんだけど」

 スージーは少し考えている風に僕を見つめてから、笑顔を満面に浮かべて

「うん。しよう」

 と、明るく答えてくれた。

「(やったぜ!)」

 と、僕は心の中でガッツポーズを決めていた。

 

 働き者の僕は、店の横の路地の水撒きを簡単に済ませ、急いで線路沿いの砦に向かった。はっきり言って最近僕の仕事ぶりは手抜き工事そのものだった。父は気づいているに違いなかったが、まだ直接怒られてはいなかった。

 砦には皆が集まっていた。

「ごめん。遅くなった」

 と、みんなに謝ってから八幡様までの近道を書き込んだ地図をみんなの前に拡げて見せた。本ルートの方はみんなのオーケーが出たが、予備コースには若干の修正が入れられてからオーケーとなった。

 その他、先輩たちと折衝を続けていた竹田君、他のクラスの奴らとの調整に奔走した加東君、テキヤの出店の小間割り図を入手してきた河井君、そしてボスと秀哉君の動きを引き続き内偵していた幹彦君それぞれが報告を行い全員の承認を得た。

 計画の中でいくつか問題点は残されていたものの大まかな仕掛けは完成したと言っていい。ただ僕の中で気になっていたスージー兄に言われた台詞、「気をつけた方がいいぜ」についてはこの報告会では発表せずにおいた。

 砦から急いで家へ戻り残っていた店の仕事を片づけた。それから夕食を小さな胃袋にかき込んでからスージーとの約束の場所へと勝手口からそっと出発した。

 日が沈み夜が始まろうとしていた。外灯の電気がつきはじめ、深いグレイの夜空に金星がポツンと光っていた。そんな中、僕は街道沿いの教会へと急いだ。

 街道に面した教会の入口のスロープを上がるとスージーと約束をした駐車場が現れる。その左側の奥には、この教会の神父さん家族が暮らしている公務員で言えば官舎が建っていた。もちろん神父さんの子供たちも僕らと同じ学校に通っている訳で、とくに弟の方は同じ学年なので顔見知りだった。

 約束の七時半より五分ほど早く到着した僕は、「今晩も花火をする場所を貸してください」と断りを入れるため、彼の住む平屋へ向かった。

 教会と言うとなにかとても西洋的なイメージで考えがちだが、日本に根付いているキリスト教は歴史的に見ても、とても日本的なのである。神父さん家族も僕が訪れたとき、日本的に丸い卓袱台を囲んで夕食をとっている最中だった。基本的に教会はパブリックな場ではあったが、礼儀として他人の管理する敷地にお邪魔する訳だから、神父さんから了承をもらうことは必須事項であったのだ。それくらいの常識は、いくらこの僕でも心得ていたものだ。

 程なくしてスージーが手に花火の入った袋を持って小走りに駐車場に続くスロープを上がって来るのが見えた。僕は右手を上げて小さく振って見せた。

「ちょっと遅くなちゃった」

 スージーは僕の目を見ずにそう言うと花火の入った袋を開け始めた。

 二人はいくつかの花火を楽しんだ。その間、特に言葉も交わさなかったのだが不思議と昼間のような緊張感はなかった。むしろ心地よい雰囲気を体のまわりに感じていて、とてもリラックスしていた。

 スージーは線香花火の火の玉が地面に落ちるたびに

「あっ」

 という驚きとも悲しみともつかないような声を出した。そのたびに僕の心臓のあたりはキュンと引き締まり、何とも言えない感情がこみ上げて来るのだった。

 

 事件が起きたのは次の日の夕方だった。お祭りの前日の八幡様では祭禮の準備が着々と進んでいた。夜店の仕込みもこの夕刻から搬入・設営が行われていた。テキヤさんたちの手慣れた、荷物を肩に背負い上げる、ロープを結ぶ、テントを立ち上げるといった一連の作業はいつまで見ていても飽きないくらい鮮やかなプロの仕事だった。

 僕と河井君は、去年知り合いになった射的場のあんちゃんと一年ぶりの再会を果たし、仕込みの手伝いをしたり旅先での出来事についてのおしゃべりを聞いたりしてこの時間を過ごした。お祭りの前日の放課後にこうして八幡様に来ることが、毎年僕らにとって待ちに待った楽しみの一つだったのだ。しかし今年はこの楽しみの他にもう一つの目的があるということは言うまでもないだろう。

 今日の僕と河井君の役割りは、敵対するであろういくつかのグループの八幡様での動きを監視することだった。誰と誰が会って話をしたとか、逆にどこかのグループに我々二人がマークされていないかということもこの任務の中に含まれていた。テキヤのあんちゃんとの交流は、こうした僕らの任務をカムフラージュする意味でも、とても自然で好都合だった。

 敵方、つまり学校でのボスはといえば今日も特に変わりがなかった。我々と全く会話をしないというのではなく、自分の中で決めた一線をひたすら守っているといったような頑なではあるが、僕らの目から見てもとても自然に振る舞っていた。これも彼の凄さの一つだと思う。ただ秀哉君だけは志士とは決して言葉を交わさず、目を合わせることもほとんどなかった。彼は根が純粋な分、白黒がはっきりしていないと納得できず、ボスのようにうまく立ち振る舞えなかったのだ。

 そんなことを思い巡らせながら射的場の景品を赤い毛氈の上に並べていた時、河井君が僕に目で合図を送って来た。参道を本堂の方へ歩いていくネズミ男と子分三人の姿が一瞬目に入った。

 彼らはキョロキョロと辺りを探るかのように歩いていた。

「見るからに怪しいな。先回りしよう」

 河井君はそう言うと射撃場のカウンターからくぐり出て、社務所側の通路の方へ駆け出した。僕はすぐにその後に続いた。

 僕らは本堂の右側へ回り込み、松の木の陰に身を潜ませた。

 ネズミ男たちは本堂入口の十段程の石段の前で立ち止まった。

「お参りに来た訳じゃあるまい」

 と、時代劇風に僕が独り言を呟いた瞬間、ネズミ男は奇妙な行動をとった。子分の一人を石段下の見張り役に残し、彼らは本堂の縁の下に姿を消したのだ。

 河井君と僕は松の木の陰から石段の方へ移動しながら反射的に縁の下の暗闇の中へ頭を突っ込んで目を見開いた。しかし小さな懐中電灯の光がかすかに揺れているのが見えるだけだった。しばらくするとその小さな灯もぷつりと消えた。

「ここが奴らのアジトだぜ、きっと」

 河井君が少し興奮気味に言った。

 体の中で膨らみ始めた好奇心に突き動かされていた僕らは、小走りで本堂の裏手へと向かった。本堂と隣の民家を隔てているブロック塀に沿って進んでいくと突然縁の下からネズミ男がにゅうっと上半身を突き出したところに鉢合わせしてしまった。

 僕らも驚いたが予想外の対面にネズミ男の顔も豆鉄砲面だった。

「あっ、お前ら何してやがる。さては偵察だな」

 ネズミ男のその言葉に答えて

「お前らこそ何してる、こそこそしやがって・・・・」

 河井君がそう答えた所で僕は河井君の肘を掴み「消えようぜ」と心の中で合図した。縁の下からまたゾロゾロとこいつの子分がゴキブリみたいに出てくると面倒だし、ここでトラブルを起こすと明日の計画全体がぶち壊しになる恐れがあったからだ。

 河井君も察して踵を返そうとしたその時、ネズミ男が縁の下から身体を引き抜いてこう叫んだ。

「雑貨屋!おまえ昨日女と花火やってただろ。みんなに言い触らしてやる。あんまり粋がってるんじゃねえぞ!」

 突然の予想もしない攻撃に僕は一抹の恥ずかしさと憤りを感じていた。恥ずかしさの方は女子と二人だけで仲間にも内緒で遊んでいたことがばれたことからきていた。憤りの方はスージーを巻き込んで暴言を吐いているネズミ男の卑怯なやり方に端を発していた。自分はともかく関係のないスージーにまで恥をかかせる訳にはいかない。

 その時、ネズミ男の後ろから声がした。

「どうしたんだ」

 本堂の反対側から回り込んで来たのはなんとボスと秀哉君だった。

「おう。こいつがさあ・・・・」

 ネズミ男がボスに向かって口を開こうとした瞬間ボスが一喝した。

「粋がって調子のってるのはお前なんだよ!黙って年下と遊んでろ!」

 そう言うとボスはネズミ男の後頭部をポカポカと平手で二回叩いた。ネズミ男といえどもボスよりも一つ年上だ。しかも縁の下から続いて出てきた子分の前で叩かれたのだから面子丸つぶれだ。全くもって理不尽だと言わんばかりの視線をボスに投げかけていたが、黙りこくって、そのまま引き下がってしまった。

 ボスは「行こうぜ」と僕と河井君に手招きした。

 とにかくその場を離れるためにボスと秀哉君とともに参道へと戻った。

「明日は俺らは五丁目の御輿を担ぐんだ」

 ボスは僕に向かってそう言った。

 五丁目は僕と加東君そして秀哉君の住む地域だ。つまり「明日は一緒に担ぐからよろしくな」と言っているのだ。

 竹田君が言っていたとおりだと思った。「ボスは自分の家のある二丁目の御輿ではなく、秀哉君と一緒に五丁目の御輿を担ぐだろう」なぜならば二丁目には宿敵竹田君が住んでいるのだから。

 僕は先日竹田君の言っていた言葉を思い出しながらボスに向かって頷いて見せた。

 こうして僕と河井君はボスに助けてもらったという結果になってしまった。それよりも僕が気になったのは秀哉君が始終無言の険しい表情でボスの横に立っていた姿だった。

 

 →→→◆第4話へ続く

前ページへ戻る