バディ・セイホームページ


クロニクル・バックナンバー(-26-から-50-まで) 

 

-26-◆「氣力」について

 以前から、科学的には未だ実証されていない人間の「氣力」について興味を持っていた私は、合氣道の体験教室へ参加してみた。実際に体験してみると、本で読んでいたことなどもすんなりと理解出来た。百聞は一見にしかずというところか。

 「氣」について簡単に説明すると、心と身体を一体にすることによって、その人の本来の力を出すことができるというものだ。

 例えば、立って腕を前に伸ばし、それをもう一人が力で肘から折り曲げようとする。腕を伸ばした方も抵抗するが、たいがい折り曲げられてしまう。そこで今度は心の中で、前に伸ばした腕の指先からもの凄い勢いで水が10メートル先の壁まで吹き出していると思ってみる。消防ホースの水が勢いよく吹き出す感じである。すると不思議、もう一人が腕を折り曲げようとしても曲がらない。

 心で思っただけでこの違いだ。本当はもっと奥が深く、天と地(宇宙)の中で我々は存在する訳だから、この宇宙を基準に物事を判断・実行していけば、自己中心的な行動や他人の目を気にしすぎるようなことが、いかにちっぽけなことかということが分かるだろうとか、とても壮大ないわば哲学なのだ。

 誰もが氣を出している。氣を配ったり、氣をつけたりしてるでしょう。それに「病は氣から」ってよく言うでしょう。・・・等々。

 心と身体をリラックスさせ健康を保つためや護身のための合氣道というのは、重要だと思うし、とても興味があるのだが、私にとってそれらは二の次の目的なのだ。

 私が目に見えない氣力について考えるとき、それは自分自身の存在の裏付けについて考えていることなのだ。

 

「宇宙の中の私 私の中の宇宙 その通過点である私は何なのか」

 

2002.2.23

 2001年12月24日の月

 

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-27-◆必要な人

 眉間に皺を寄せて歩いている自分に気づいた。歩いていて、ショーウィンドウに映った自分の顔に驚く。はじめは自分だと分からなかった。ほんの一瞬だけだが、自分を完全に客観的に見ていた。

 この男、年の頃は四十代だろうか。額はやや薄くなりかけていて、メガネをかけている。眉間に皺を寄せ何かを考え込んでいる。ややうつむきがちで、やや猫背で足を引きずるような感じで、それでいて、やや早足に歩いている。

 職業は何だろう。紺のブレザーに地味なネクタイ。グレーのスラックスとくればどこにでもいる勤め人だが、なんとなくサービス業のにおいがしなくもない。でも顔からくる暗い印象からは、営業というより内勤の仕事のような気がする。

 家族は子どもが二人くらいで、郊外の中古マンション住まい。それもローンを組んでやっとの思いで手に入れたものだ。勿論ローンは、七十歳を過ぎてもまだ払っている計算だ。確かローンを組むときには生命保険に入らなければならないらしいから、歳をとって払えなくなって妻や子に迷惑をかけそうになったら、最後の手段をとるという道も彼は考えているに違いない。

 きっと家族からはあまり相手にされていなんだろうなあ。本人は家族サービスなどして努力はしてみるのだが、頑張れば頑張るほど子ども達は白けていって、奥さんなんかも「もうどうでもいいわ」って感じで、そうそう絶対奥さんとは寝床が別で、下手すると家庭内別居だなきっと。

 ・・・・・げええええー、世間の人にこんな風に見られている私ってちょっと悲しすぎる。そうだせめて背筋を伸ばして歩くことにしよう。それとなるだけ笑顔をつくるようにして、眉間の皺をなくすようにしなければ。

 男って仕事・家族・友人の他にもう一つ何かが必要なんだ。理屈抜きで自分の存在を認めてくれる、この世で必要とされている人間であると、たまにでいいから言ってくれる人が必要なのに違いない。そうなんだ。きっとそうだ。

 でも普通は家族や友人がそういう存在であるような気もするが・・・、いや実際はこの「眉間に皺男」のようなひとりぼっちの人間が案外多いのが現実かもしれないぞ。

 

2002.3.19

 

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-28-◆すぐそこ、W杯

 世界中の人々がやって来る。日本にとっては、1970年の大阪万国博覧会以来の大イベントなのではないか。世界の人々と触れ合う機会が、試合や合宿の会場となる街に暮らす人々には、多かれ少なかれ訪れることだろう。

 アジア、中東、アフリカ、北中南米、欧州と正に世界中からその地域の代表とそのサポーターが集まり、同じルールのもと戦いをくりひろげるのである。日本人はここで気づくだろう。いや、バブル後の不景気の中、もう気づき始めている人たちも多くいる。

 戦後からのアメリカ偏重の世界観がすべてではなかったんだなと、皆うすうす気づき始めた。私はアメリカ批判をしている訳ではない。私自身もアメリカで貴重な経験をしてきたし、文化面でも影響を受けてきた。正にアメリカから様々な恩恵を受けてきた一人である。

 しかし、世界標準=アメリカという考え方には賛同できない。アメリカという国は、世界の中の一つなんだよと。外国といえばアメリカだった日本人の世界観を正常に修正するチャンスがこのワールドカップであると私は位置づける。

 いろいろな考え方の人間がいて良い。このような発言をすると政治的思想に結びつける輩もいるが、私個人のワールドカップに対する一つの思いと受け止めていただきたい。

 ただ単に、小さい頃から球を蹴り続けてきたサッカー・フリークが、楽しみに指折り祭りを待っているといったほうが正確な今の気持ちだったりするのだが・・・。

 

 「感じよう、世界の人々のもの凄いパワーを!」

 

2002.5.18

 

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-29-◆五嶋みどりコンサート

 6/23の三軒茶屋でのコンサートも無事終わりほっとするのもつかの間、日常の雑多な事柄をこなす作業が再び延々と続くかのような今日この頃です。当日コンサートへ来場いただいた皆様ありがとうございました。この場を借りて心より御礼申し上げます。

 コンサート翌日、雑務を片づけた後「五嶋みどり&N響コンサート」へ行って来ました。こちらは本物のコンサートでしたよ。メンデルスゾーンの「夏の夜の夢」ではじまり、途中彼女のトークコーナーあり、最後はチャイコフスキーの「バイオリン協奏曲ニ長調作品35」で幕を降ろすという粋な構成で楽しめました。彼女は子供達のために非営利団体「みどり教育財団」を設立しているだけあり、会場には子供達の姿もたくさん見られました。(入場料も子供は破格の安さなのです)

 バイオリンを通じて、そんな彼女の人間性、考え方が伝わって来ました。本当に彼女の演奏というのは「入魂」の演奏という感じがします。バーンスタイン指揮のコンサート中に弦が切れて、コンサートマスターのバイオリンを奪い取って最後まで演奏を続けたという伝説を持つ彼女ですが、こうして子供から大人までを感動の渦に巻き込んでしまう演奏を目(耳)の当たりにすると、彼女にとってそんなこと伝説でもなんでもないんだなと思ってしまいます。

 司会者が聞きました。

 「何故、弦が切れた時、人のバイオリンを借りようという発想に至ったのですか?」 

 彼女は答えます。

 「だって(弦が)3本より4本のほうがいいじゃないですか。せっかく一生懸命練習して来たんですから」

 こもっとも!

 

2002.7.3

 

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-30-◆パフォーマンスのページについて

 このホームページが立ち上がってから、早いものでもう3年以上になる。準備期間を入れると4年は軽く越える。 

 さて、よくこのホームページについて私が言われることは、パフォーマンスのページで紹介されている活動についてである。「いろいろやってますねえ」とか、「ライヴは案外少ないんですね」とか、「ネットオーディション投票しました」などの類だ。

 ライヴの数については月一でやっていた昔とくらべれば確かに少ない。別に年に1から2本などと決めている訳ではなくて、本当にやる必要性を感じたものだけを吟味して決めているだけなのだ。基本的には、良い話があればやる方向で検討し、引き受けることにしている。

 ステージの上で唄う(1曲でも)ということであれば、このパフォーマンスページに載っていないライヴも結構あるのだ。例えば小さな友人のパーティーだとか、飛び入りセッションだとか、オーディションの予選であるとか、その他諸々だ。

 路上でもやる時もある。良いロケーションを探しにギターケース抱えてローカル線に乗り込んで遠出したりなんてことは結構ある。こんな場合、大体において降りた駅の駅前の人通りがほとんどなかったりして、ブラブラして帰るというのが定番になっている。(それはそれで快感だったりする)

 次に有線やネットで私の曲が流れるのは、勿論それらの媒体を狙ってリリースしていることも一因だが、それだけで流してくれる程甘くはないのがこの業界だ。やはりそこには、有り難いことに私の曲を気に入ってくれるDJや番組担当者がいてくれるからこそ、何度もバディ・セイを取り上げてくれているのだ。

 私にとってここでの意見や講評は、全くの第三者が有線やネットを通じて間接的に送ってくる大切なシグナルなのだと受け止めている。デモ1曲につき約50カ所の団体や個人にリリースしているのだから、勝率としては非常に低いものなのだが・・・。

 つまり、このパフォーマンスページに載っていることは、私の活動のほんの一部、ほんとうに氷山の一角であるということなのだ。

 今後も私は変わらずに、一人でも多くのリスナーに、私の発する楽曲を聴いて欲しいと願い続け、氷山の一角が少しでも上へ上へと伸びていくようにゆっくりと進んでいくことでしょう。

 今回のクロニクルは、何か所信表明のようになってしまいましたが、是非、心の中で今後とも応援していてください。

 

2002.8.21

 

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-31-◆語ってみることにしようか

 この曲、うまく唄ってやろうという邪念が常につきまとう。風邪声で「ダメだこりゃ、今度録りなおそう」なんて思ってた曲が、「いいねえこの歌」などと評価されたりするから世の中分からない。

 持ってる力を120%出し切ろうと頑張るから良くないのは百も承知だ。でも力が弱いので出し切らないとなかなか感じてもらえない。パソコンじゃないが、本当は50%は余裕のメモリを取っておかないといけないらしい。プロフェッショナルはそういう人が多い。基本的に天才肌の人は、存在だけで30%、ちょっとプレイして20%みたいな感じだ。この50%が私にとっては350%くらいかな?

 凡人は凡人らしくいろいろと工夫してみる。そうだ、唄うというよりも、語ってみることにしようか。問わず語りになって、気が付いたら「お客さんカンバンですよ」なんて親爺に言われ、誰も聞いてなかったなんていうのは、なかなかオツなものかもしれないなあ・・・と猛暑の中ビール片手に考える今日この頃。

 はたから見たら物思いに耽る、芸術家にみえないかなあ。(ただ一人で飲んでる寂しい男にしか見えないよ)

 早くコイコイ芸術の秋!

 

2002.9.3

 

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-32-◆黒澤映画の良いところ

 「黒澤映画はいい」というのは、今や世界共通の認識だが、どこが良くてどの作品が好きかというのは、人それぞれ意見の分かれるところだ。

 私は実名で出てくる場所が好きだ。「天国と地獄」でいえば、有名なシーンでヤク中の巣窟として描かれている黄金町とか、監禁場所であった江ノ電の腰越あたりとか、盗難車が発見された中原街道綱島付近とかである。ちょっと今どうなっているのか歩いてみたくなる。

 黄金町は、今も(ちょんのま)風俗街であるのだろうけれど、ここからあの山崎努のように、ドヤ街から伊勢佐木町までをたどるのもどうだろう。黄金町といえば、昔「ぴあ」とかで名画座の欄に気になる映画館が載っていたのを記憶している。館名は忘れたが、「濱マイク」の舞台になっている館ではなくて、おそらくもうなくなってしまった館だと思う。

 「素晴らしき日曜日」では、新宿辺りから始まって、動物園の上野、雨の中走って向かう有楽町から日比谷。そして最後は野外音楽堂。男のアパートがあるのが、新宿辺りなのか、日比谷に近いのか地理的つじつまが合わない気もするが、まあ良しとしよう。

 「酔いどれ天使」の闇市は、新橋あたりなのか?あの商店街に流れる女性のアナウンスは今でも新橋の烏森口を歩くと聞くことができる。

 なにかロケ地ツアーマニア的だが、いい映画を見るとその場所に行ってみたいと思うのがまた人情であり、一つの楽しみ方でもあるのではないだろうか。

 

 ※黒澤ファンの方、地名についての興味深いエピソードなどあれば教えてください。

 

2002.9.4

 

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-33-◆夏はやっぱりラジオ体操!

 今年の夏は暑かった。本当に暑かった。マジで暑かった。なぜだか暑かった。・・・と書いていたら汗をかいてきた。

 7月は、南大沢のイベントと上福岡のイベントで汗を流す。(バディ・セイというと秋の奥入瀬とか冬のロシアみたいなイメージでしょ?でも何故か夏にステージが多いんだよね)

 それから8月は、越後の五十沢へキャンプへとバカンス。しかし雨に降られ大変な思いをした。その後、新潟空港近くのプールでくつろぎ、その後は上州川場村で川遊びに興じる。そこではニジマスと音楽との関係について考え、イワナの刺身と寄生虫についてのハーモーニーの実現についての調査研究に時間を割いた。(本当はニジマスとイワナを食べて温泉でゆっくりしていた)

 しかし何と言っても今年の夏のメインはラジオ体操である!町内会の主催で、ご存じ「体操カード」を首からさげて子供達と一緒に通うのだ。ラジオ体操第一と第二を真剣にやると息がきれて、汗がにじむ。(歳だ)

 一日にこれだけでも毎日やったら、やらない人に比べて運動量ですごい差がでてくるんだろうななどと考える。それが半年、一年と続けばスゴイことになるだろう。ラジオ体操筋肉がついて、男らしい健康的な肉体をあなたは手に入れることができるかもしれない。もうブルーワーカー(古い!)なんて買う必要はなくなるだろう。

 いやいや、私がラジオ体操を気に入っている理由は、そんな肉体改造ができるからではないのだ。それは、ラジオ体操が終わった後に散歩をしたり、近所の人たちとお喋りをしたりが楽しいのだ。(何とささやかな楽しみ)

 私が子供の頃、ラジオ体操後に近所の年上のお兄ちゃん達と話しながら散歩をし、病院の中庭みたいなところでかくれんぼをしたりしたのを覚えている。植え込みの中に隠れながら、朝日がキラキラと葉の間からこぼれてくる場面を今でも時々思い出す。

 そうやって、年上の子が本当にかわいがってくれた。そんな時代のそんな思い出を呼び起こす、それが私がラジオ体操に参加してしまう個人的動機なのである。

 

2002.9.7

 

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-34-◆昭和30年代がブーム?

 最近、雑誌やテレビ、はたまたテーマパークまで昭和30年代(1956〜1965年くらい)がブームになっている。

 「えっ!ほんとにブームなの?」って聞かれるとつらいのだけれど、私はこの年代の生まれだし、音楽やアートもこの時代のアメリカのものが好きだし、ついついそういう記事や番組に目がいってしまうのかもしれない。正確に言うならば「私の中ではブームです」というところだろうか。

 似たところで言うと、昭和55年から60年頃にかけて、「1950年代(フィフティーズ)ブーム」というのがあった。これはまさにアメリカのその時代のロックンロール(音楽)とファッションが、原宿を中心に全国に拡大したものだ。しかし、このブームは一般的なブームと傾向は同じで、若者(特に10代)を中心に燃え上がったものだった。

 今回の「昭和30年代ブーム」の違うところは、どうも若者よりも昭和30年代以前に生まれた人たち、つまりオジサン、オバサン(特にオジサンが多い)が燃え上がっているというか、仕掛け人達のターゲットになっているようなのだ。

 これらの人々は、年代的に生活に疲れていて、ノスタルジーに浸りたいという欲求を持っているはずだし、自由になるお金は少ないかもしれないが、経済的に安定した人たちが多い。そうにらんだデベロッパーや商社は、次々とネタを形にしてカモの好奇心を刺激する。

 有名なところでは、新横浜の「ラーメン博物館」がその走りだったことはいうまでもないが、大阪の「アムラックス」もそうだし、有明メガウェブ内の「ヒストリーガレージ」なんかもその雰囲気を持っている。マニアックになってくると熱海の「ふしぎな町一丁目」とかに心惹かれる。そしてお台場の「デックス東京ビーチ」には、この10月に、昭和30年代の東京の下町をイメージした「台場1丁目商店街〜みんなでお買い物〜」が開業するらしい。

 ここではっきりと分けておかなくてはいけないのは、アメリカの’50年代なのか、日本の昭和30年代なのかというところだ。別にどっちでもいいのだけれど、仕掛け人達は、どうも日本の昭和を意識しているようだ。30〜40年ごとに懐古趣味的なブームが来ると云われているが、これは仕掛け人達(広告代理店や商社、デベロッパー、テレビのディレクター)の30〜40歳代の担当者達が、組織内でちょうど力を持ち、自分の企画を推し進められる立場になっているのが一つの理由であると私は分析している。

 結婚し家庭を持ち、仕事でも責任が増し、そんな時、ふと自分の生まれ育った町や時代を懐かしんでみるものだ。つまり、仕掛け人自身の欲求を満たすために一生懸命創りあげるわけだから、それなりに思い入れやこだわりもあって、結構面白いものができあがる可能性が高い。

 しかし、仕掛け人達が知っていて言わないのか、それとも知らないから言えないのかは定かではないが、それっぽい下町の商店街なんて、東京の至るところにまだまだ残っているのですたくさん。そんな映画のセットみたいなところでお金を落とすのであれば、実際に町を歩き、そこで生活する人々の臭いを感じて触れ合うことのほうがよっぽど楽しく、現在斜陽といわれている商店街の救済という意味からも社会貢献度は、はるかに高いのではないかと思うのだが、いかがだろうか。

 私がツアーを組んで、皆様をご案内してもいいのだが、そうすると前述の仕掛け人と同類と見られそうなのでやめておく。誰でも自分お気に入りの町を見つけようと思えば、この東京ではまだまだいくらでも見つけられることうけあいだ。まずは自分の足で歩くことだ。

 ちょっとヒント。東上線沿線や池上線沿線が穴場ですよ。

 

PS>>>

クレイジーケンバンドの横山剣とぴんから兄弟の宮史郎のタワーレコードのポスターはホントに「イイネ!イイネ!」

 

2002.9.16

 

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-35-◆トイレで「時の人」と

 人間の縁とは不思議なもので、あんな人とこんなところで、こんな人とあんな所で会ってしまうものらしい。同じ町に住んでいても年に数回しか道ですれ違わないような人に、パリの裏町の路地でバッタリ邂逅したりするから「世界はせまい・・・!」とつい唄いたくなってしまう。

 そして唄っているとミッキーに会いたくなったので、「ディズニーシー」に初めて行って来た。世界屈指のテーマパークにおけるエンターテイメントの研究と運営会社オリエンタルランド社のスタッフの管理・運営手法についての調査が今回の目的である。(白状するとただ遊びに行っただけです)

 なぜ「ディズニーシー」が出てきたかというと、先ほどの人の縁の続きで、私は有名人と遭遇することが結構多いということに関係している。このディズニーシーの奥の方のちょっと暗く分かりにくいトイレの私のとなりで用を足していたのは、ナント!今や時の人、日産自動車CEOカルロス・ゴーンとその息子ではありませんか!

 黒いポロシャツを着た上半身は、水泳かなにかで鍛えているようで、がっちりとしていて、眼差しは鋭く、このレバノン出身のエリートの知能指数の高さが溢れ出てこちらに伝わってくるかのようだった。でも、小学生くらいの息子と連れションする姿は、どこにでもいる父子と何らかわりなく、日曜日のオフをリラックスして過ごしているといった父親の風体だった。

 でも私はちょっと心配になった。隣で用を足していたのが私ではなく、日産東村山工場をレイオフされた労働者だったらどうなっていただろう。殴りかかるまではいかなくても、一言二言くらいの悪態はついたかもしれない。そしてそれを見ていたゴーンの息子が父親を助けに入り、それをゴーンが止めて、「じゃあそこのレストランで一杯やろう、もちろん私のおごりで」などと丁寧な対応で元日産労働者の心を優しさで包み込んでしまったかもしれない。

 そう考えてみると、私は昔、日生劇場でモスクワ芸術座来日公演の初日に、ロビーのトイレでやはり用を足している三船敏郎に会ったりと、お互い無防備なトイレでの有名人との遭遇が多い。あの時何故か「世界の三船」は、私の顔をじっと見ながら用を足していたのが印象的だった。

 渋谷のタワーレコードでリトバルスキーに会った時は嬉しかった。私はサッカー少年時代から彼のファンだったので、プライベートタイムなのは承知の上で「リティ、応援してますから頑張ってください」と声をかけてしまった。今彼はドイツに帰って頑張っているらしい。

 何はともあれ、これからも、ありとあらゆる公共のトイレを利用して、有名人との縁づくりに励んでいきたいと思うのである。

 

・・・・ディズニーシーの感想・・・・

 ヨーロッパ風の町並みや火山、そしてコロンビア号なる豪華客船など、セットというにはふさわしくないくらいにしっかりとした施設に仕上がっていた。特に遠くからの景観が素晴らしい。池をはさんでの町並みや列車の走る高架下から見る豪華客船など、セットいうよりは、一つの建物(船)になっているので、セット裏など見切れるところが全くない。コンセプティブなところからストーリーを拡げてここまで創り上げてしまうアメリカ人には敬服する。

 ただし、スタッフの質は、明らかに(ディズニーランドオープン当初と比べて)落ちている。上辺だけの対応が多いし、なんといっても楽しんで働いているという感じがしない。今はそのへんのファーストフードでバイトしているのとなんら変わらない若者の姿がそこにはあった。

 スタッフをディズニー教の信者にしてミッキーと同じキャストと思い込ませ、低賃金でも明るく誇りを持って働かせるといった、もっともアメリカ人が得意とするソフトの部分がイマイチであったのが残念だ。

 ガイアツも今の日本の若者の気質までは変えられないということか。

 

2002.10.8

 

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-36-◆若きサラリーマンの悩み

 昨夜も込み合う山手線の中で、中年の自営業風男性と三十代のサラリーマン男性との言い争いに遭遇した。JRも職員が暴行を受ける度合いが急増したため、今後ただちに告訴する姿勢を明らかにした。

 何が彼等をそんなにイライラさせるのか。この戦後最悪の不況のせいか。どうもそれだけではない、もっと根本的で複雑な問題があるのではないかと私は感じている。

 確かにこのデフレ・不況の影響で失業者が増え、残った者も実質賃金のカット、世界からは、テロや戦争などの暗いニュースばかりが流れ込むといったことも心すさぶ大きな理由だろう。もしかしたら先述のサラリーマンも、妻と子供を抱え今年のボーナスは無し、おまけに基本給までカットされ、どうやって正月を越えようかなどと同僚と一杯グチってきた帰りかもしれない。

 奥さんとは、家計のどこを切りつめようかなどと相談し、小遣いカット、食費節約、外食はなくし、電球のワット数を落とし、子供には習い事を一つ辞めてもらう。義理で入った生命保険も掛け捨てのものに切り替え、車も軽自動車に買い換えるか売ってしまうかの検討に入る。トイレも複数回使用してから水を流すことにし、大きいほうはなるべく学校や会社でするようにしてトイレットペーパーの消費を減らす。風呂は夏はシャワーで済ませ、冬は二日に一度に減らす。電話をこちらからかけるときは用件だけを伝えて切る習慣をつけ、外から自宅への電話は、コール数である程度の用件が伝わるように工夫する。

 ついこの間まで「マイホームを買おうよ」なんて言っていたのが信じられない。不況なんて世間様の出来事だと思っていた。人間、自分の身に火の粉が降りかかってみないと腰を上げて動こうとしないようにできているらしい。

 今後のことを考えると更に心が重くなる。歳をとり弱っていく親の介護のことや子供の進学にかかる費用のこと。そして子供の成長にしたがい手狭になってきている賃貸アパート。ついこの間まで家族と膨らませていたマイホーム取得の夢も、年齢的にまとまった金を借りること(ローンを組むこと)が、現状できないと言うことは、断念せざるを得ないということだ。下手すると三ヶ月後のアパートの更新料すら危ないかもしれない。

 電車の中では、ピコピコ音をさせてメールを打っている無法者の姿は当たり前、満員電車の中、耳元でくだらない話を大声でされるに至っては、親の顔どころかご先祖様の尻の毛まで見てみたいと・・・は思わない。そこへ駅から乗り込んできた男に足を踏まれ、「すみません」の一言もなくシカトされれば、私だって「なんだコノヤロー!」と叫んでいたに違いない。

 道徳?、今の日本に道徳心なんて言葉あるの?私は不景気風の中に紛れる、この道徳心の欠如こそが今の日本の最大の問題であると考える。まずは日本人の心の中身を『構造改革』だよ、小泉さん!

 

=== 径路窄処、留一歩与人行、滋味濃的、減三分譲人嗜 ===(菜根譚より)

 

径路窄(せま)き処は、一歩を留(と)めて人の行くに与え、

滋味濃(こまや)かなるものは、三分を減じて人の嗜(たしな)むに譲る。

 

意)せまい道では足をとどめて「お先にどうぞ」、おいしい食べ物は「おひとつどうぞ」

 

2002.11.30

 

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-37-◆チグリス・ユーフラテス川

 チグリス・ユーフラテス川とくれば、昔世界史で習った「メソポタミア文明」を思い出す。人類最初の文明が起こったと言われている場所だ。キリスト教もイスラム教もユダヤ教も根源は同じで、この豊かな土地から発祥したという説もあるくらいだから、中東というのは歴史と伝統のある由緒正しき文明人の故郷といっても良いだろう。

 文明は川沿いに発展するといわれる。ナイル川には「エジプト文明」、インダス川には「インダス文明」、黄河には「黄河文明」が栄えた。その中でもチグリス川とユーフラテス川にはさまれた「メソポタミア文明」は特に豊かな文明だったようだ。

 最近テレビを見ていると、昔観た「アラビアのロレンス」を思い出す。利用する者、利用される者。大英帝国。アラブ、クルド、ペルシャ、トルコ、ユダヤ・・・人種が交錯する複雑な歴史的背景。砂嵐。

 イラン・イラク戦争の時、アメリカはイラクに武器や情報を送っていたという事実。敵の敵は味方ということか。グローバル化と名を変えてもインペリアリズムに変わりない。皮肉なことにそのグローバリズムもこれで失速する。

 

 我々が「最後の文明」とならないように・・・。

 

2003.3.26

 

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-38-◆試練の春

 春というと草花が芽吹き、暖かく新しい始まりという一年の中で最も気分のいい季節のように思われがちだが、私にとってはそうでもない。春は身体がだるく、鼻がつまり次にそれが垂れてきてティッシュの消費量が爆発的に増える。そう、春の最大の敵は花粉症なのである。

 新芽の緑の草原をスローモーションで駆け回っている自分を想像するだけで、喉の奥がかゆくなってくる。マスクをしてサングラスをかけ帽子をかぶり完全武装の日々。郵便局やコンビニに立ち寄っている姿は、ちょっと危ない中年男だ。

 しかもこの季節、花粉症だけではない。毎年どこかしら身体の調子が悪い。一昨年は肺が痛いのが続いた。去年は寝汗をベッタリとかき、横腹が痛くて眠れない夜が何度かあった。

 うた唄いの友人から言われたことがある。「ミュージシャンとして致命的だな」

 いや本当にミュージシャンでなくてよかった。えっ?バディ・セイってミュージシャンじゃあないの?と聞こえてきそうだが、そんなこと言っている御方はまだまだこのホームページを熟知していない。そうです、私は「地球人」なのです!

 そんなことはどうでもいい。私にとってこの試練の春という季節は実は快感だったりするのだから面白いでしょ?脂汗を垂らしながら肉体的苦痛を楽しみながら、落ち着き無く動き回っている私を想像してみてください。(※無理に想像する必要はありません。強制ではありませんので)

 そんな試練の春も花粉症とともに終わろうとしている。

 

2003.5.14

 

 

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-39-◆東急文化会館

 渋谷の東急文化会館が閉鎖・取り壊される。文化会館といえばプラネタリウムだ。数え切れないほど私はこの人工の星空を見てきた。兄や従兄弟に連れられて初めて行った時は、満員で一番壁際の補助椅子だった。あの寄りかかると倒れる椅子に座りたいと思ったのを覚えている。

 思春期になると、デートコースには必ずこの星空鑑賞が入っていた。「あれは北極星。あれがオリオン座のペテルギウス。あの赤いのが金星だよ」などと知ったかぶった。そりゃ何べんも来ていれば星や星座の名前も自然に覚えてしまう。

 もう一つの目玉は映画館だ。一階のパンテオンはじめ名画座なんかも結構見ていたと思う。パンテオンでは田舎の親類と「ブルース・ブラザース」を見たんじゃなかったかな。いや母と病院の帰りに「キング・コング」を見たのが最初だったかな?地下の映画館では、友人が初めて準主役級で出演した「極道の妻たち」シリーズを見たなあ。上の方の階の名画座では、「嵐が丘」と何かの2本立てを見た。「ウエスト・サイド物語」のリバイバルも見た記憶がある。

 こうした思い出のいっぱい詰まった建物が次々に取り壊される。昭和の風景が減っていく。変わりにラーメン博物館のようなセットに人が集まる。時代は変わる。新丸ビル、汐留のビル街、六本木ヒルズへとシフトしていく。

 五島プラネタリウムはもう閉鎖され投影機も撤去されてしまったが、閉館イベントでヒーリング音楽と共に星空を見るというものに行って来た。例のドームの中に半分くらいの椅子が設置され、音楽と共に星空を楽しむ。仕事帰りのOLやサラリーマン、年輩のおじさん、親子らが真剣に天井を見上げる。

 それぞれの思い出を胸に秘めつつ、思い出の場所で、新たなる思い出をつくっているかのように私の目には映った。

 

2003.6.17

 

 

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-40-◆クロニクルじゃないじゃん

 このバディ・セイのクロニクルも今回40号目になるということで、今までのバックナンバーを眺めなおしてみた。その感想は一言、「ぜんぜんクロニクルじゃないじゃん!」だった。

 私はハマっ子じゃないが、「じゃん」とつい言ってしまうほど動揺(?)してしまった。(なんでそこで動揺するねん!)

 私は大阪人ではないが、「するねん」とつい突っ込みを入れてしまうほどテキトーな文章に呆れてしまった。

 クロニクルと辞書で引くと『年代記』、『記録』、『新聞』、『物語』とある。うーむ、年代記ではないが記録ではあるな。でも新聞ではないし、物語といえば言えなくも無いものもあったな。

 日本人のクロニクルという言葉に感じる意味というのは、もっとダイアリーに近いんじゃないかな。でも総合的に見ると今までのはコラムに近いのかも?・・・。

 この40号という節目を機会に、何か切り口を変えた展開をしてみようかと考えた私だったが、どうやら「まあいいか、これからも自分の書きたいこと書けば・・」と哲学的に考えてしまう秋の夕暮れであった。

 

2003.9.15

 

 

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-41-◆ 田舎暮らしへの憧れ

 都会での暮らしを続けていると、ホッとしたくなる瞬間が無性に欲しくなる。「よーし!旅にでも出るか」と身軽に腰を上げられれば良いのだが、私を含め背負うだけ背負って生きちゃっている多くの人々には、そんなことも夢のまた夢なのである。

 私は湖のそばに住んでみたいとずっと思ってきた。海は常に暑そうだし、洗濯物もべたべたしそうでいやだ。山は好きだけれども、山奥の炭焼き小屋みたいなところにクマさんと永住もしたくない。

 そこで湖の登場である。自然の中、静かにひろがる大きな水たまり。大きい池といったほうが良いか。小鳥はさえずり、魚ははねる。もちろん山に囲まれているわけだからハイキングなんかもすぐできるし、四季折々の風景を楽しむことだってできる。(冬の雪かきだってやるぞ)

 朝霧の中、自宅のテラスから続く湖へとカヌーを漕ぎ出す。静まりかえった湖面にポチャンと魚がはねる。すると向こうの山の間から朝日がオレンジ色に輝きいでて私を照らす。それはまるで今日という日の始まりを祝福するかのように・・・。妻がキッチンの窓を開け朝食ができたと手を振っている。私はこの充実した時間を手放すのを惜しみながら、我が家のある湖岸へとカヌーを漕ぎ始めるのであった。

 なんてヘミングウェイみたいな生活に憧れる。何故なんだろう。映画「陽のあたる場所」のエリザベス・テーラーとモンゴメリー・クリフトの湖畔でのシーンが忘れられないからかなあ。

 

2003.9.25

 

 

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-42-◆夫婦善哉(めおとぜんざい)

 ご存じ森繁久彌の出世作。大阪は法善寺横丁を舞台に繰り広げられる男と女の人生模様。ぶつかっては火花を散らし、離れては寂しさに耐えきれずよりを戻す。そんな繰り返しが今も昔も夫婦の間でずっと続いているんだなあ。「人生ってそんなもんかぁ!」ってヘイ!OYAJIの歌詞みたいな感想をもった私でした。

 でも淡島千景いいなあ。というか蝶子みたいな女に世の男達は何故か惹かれるのです。この映画がヒットした背景には、そんな男達の淡い夢をコチョコチョっとくすぐる裏技がかくされていたのです。

 法善寺横丁は、昨年火事で大部分が燃えてしまったといいます。私も今夏、大阪へ行ったついでに立ち寄ろうと思っていましたが、事情により行かれませんでした。

 良い映画を見ると何故、その舞台の場所に行きたくなるのでしょう。そこに主人公たちが生活しているのだと錯覚を起こすからでしょうか。そうだとすると、そう思わせてしまう原作・俳優・映画監督の仕事って神業ですね。

 これが歴史的名作の共通判断基準ではないでしょうか。(私が勝手に思うに)

 私もそんな作品を作り出せる男になりたいですね。

 

2003.11.1

 

 

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-43-◆時代の変わり目

 衆院選挙もマスコミによる「二大政党時代キャンペーン」により民主党が議席を伸ばし、社民、共産は惨敗した。そしてそんな中、昨日、第二次小泉内閣がスタートしたのである。

 これからの日本、何が変わり、何が変わらないのだろうか。今後の日本はこうあるべき・・・などと大局に立ってものを見ることなど、我々庶民にはなかなかできるものではない。(少なくとも私はできない)。

 実際の生活にどんな影響があるのか、日々の暮らしが少しは楽になるのか、そこが一番の関心事だ。年金問題一つとってみても支給額を減らさずに負担額を増やすなどと聞けば、「えーっ!勘弁してよ、これ以上」なんて思ってしまう。

 でも国の行う年金制度って、もともとは金を稼ぐ現役世代が、引退した世代の最低限の生活費の面倒をみるという、いわば「お父さん、お母さんを大切にしよう!」的、素晴らしい日本の社会制度であったはずだ。

 とすれば、「おいおい、ジジイたちの支給額減らして、オレたちの負担減らせよ」なんて口が裂けても言ってはいけないのである。

 でも言いたくなるのは何故かと考えると、「それじゃあオレたちの時は、子供たちの世代が面倒見てくれるのかよ。今後少子化は続くって言うし、年金払ってない若者急増中だって言うじゃないの」

 そんなこと言っちゃあいけない。あなたは自分のことしか考えていないのですか。自分が得だ、損だなどと言っているうちはまだまだ修行が足りん!働くのじゃ!稼ぐのじゃあ〜!。

 「でもさあ、年寄り捨てちゃう姨捨山だって日本の伝統的な制度だったんじゃないの?これ復活だよ。病院のロビーとかウロウロしてるのみんな老人ホーム入れちゃえばいいじゃん」

 あのねえ、姨捨山っていうのは、老人を捨てたんじゃないの。老人のほうから自主的に山に入っていったんだよ、残った家族や村人のことを思って。

 そうかあ、じゃあ家族や村人のこと考えて「私は年金額今の半分でいいです」って言うのが本当の日本の尊敬できる長老の姿だな。よし、これで年金改革終わり!

 ということで、年金問題一つとってみても、私の頭の中でこんな議論が一晩中続いてしまうのです。でもこういう問題を真剣に考えることが、今の時代本当に必要なのかもしれません。

 とにかく、今回の選挙で投票に行かなかった人々よ、あなたたちは国のやることに文句を言ってはいけません。だって唯一の意思表示の機会である投票をしなかったのでしょう?都合の悪いときだけ文句を言うのは卑怯者です。

 私はそんな人たちが嫌いです。

 

2003.11.20

 

 

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-44-

とても大切なこと「来年の抱負」

 久しぶりに表参道を歩いた。クリスマスムードを盛り上げる様々な装飾。そのちょっと路地に入ったレストランで関係者との忘年会があったのだ。和気藹々とした雰囲気の中で食事と歓談が続く。こんな時に“師走”を感じますね私は。

 さあ来年は何を抱負として暮らしていこうか。個人的には色々なことが変わるであろう節目の年になりそうなので、まずは健康かな一番大事なのは。あとは皆が笑顔で仲良くやっていけるよう、私も一日一日をしっかりと努力して人の役にたつようなことを心がけたいですね。

 こんな子供の頃の日記帳の最後にある「来年の抱負」欄みたいなことしか四十前の男が考えられないのかと思ったりもするのだが、でも人間の抱負なんてものは、一生そんなもので良いような気がするのです。

 そんなものがとても大切はことなんだな、きっと。

 

2003.12.13

 

 

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-45-◆2004年という年

 昨年の暮れから正月にかけての私は、例年通りセッセと仕事を片づけ、クリスマスにはサンタクロースの役割りを担い、家の大掃除をして、除夜の鐘の後のテレビの時報で年が明けたのを知り、元日には初詣に行き、お雑煮を食べて、親戚の子供たちにお年玉をあげました。そして大切な人たちへ新年の挨拶をして回りました。こんなどこにでもある普通のお正月でした。

 振り返ってみれば2003年という年は、世界が大きくうねり始めた大変な年であったと思います。個人的には重い荷物を背負って丹沢大山に登ったこと、甲子園へ高校野球観戦に行ったこと、そしてCDをリリースしたことでしょうか印象に残っているのは。

 そんな私事と新聞・テレビなどで報じられる世界の出来事とは、全くかけ離れた別次元のことのように思えるのですが、実は同じ地球という小さな惑星の上で起こっていることだということを忘れてはなりません。

 別々のことだと思っていたことが、一カ所社会の流れをコントロールしている堤防が決壊することによって、たちまち自分の身の上に大洪水となって降りかかってしまうということ。その巨大な力にたいして私達個人の力は本当に小さなものでしかないということ。そんなことが起こるやも知れません。(いや、起こる確率はかなり高いです)。

 今その堤防の割れ目から水が流れ出そうとしています。2004年の世界の動きは、かつてないほど我々の日常に関わりのある事件になろうとしているのです。まずは自分なりに世界の問題を考えるところから始めましょう。

 

2004.1.10

 

 

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-46-◆東京タワーに東京人は行かない?

 私は仕事柄ほぼ毎日東京タワーを見ている。といっても鉄骨のさび止め塗りの仕事をしているわけではなく、ただ単にオフィスが近くにあるだけだ。

 先週も東京タワーへ行って来た。なぜかというと私は高いところが好きだからだ。駐車場に車を入れ、地下から地上に上がる石の階段をのぼりながら下から見上げる東京タワーは「昭和」の臭いがプンプンして最高である。

 「東京タワーなんて行くのはお上りさんだけで江戸っ子はいかねえもんだ!」などと、えせ江戸弁でいわれたらちょっと信用してしまうが、この言葉の裏を返せば、「東京タワーへ行くやつは田舎っぺだ」とちょっと馬鹿にした意味が込められているような気がする。

 では東京タワーへ行ったというのは、どの時点で成立するのだろうか。その1、東京タワーの下まで行き記念写真を撮る。その2、ロビーのビルの中のお土産屋を見て帰る。(タワーの下にある4階建てくらいのビル)。その3、チケットを買って展望室まで行く。(タワーの中央の四角い箱)。その4、さらに料金を払い特別展望室まで行く。(タワーの上部の円盤形のところ)。その5、テレビアンテナのさらに上の避雷針の先を触って帰ってくる。(たまに帰って来ない人もいる)。

 さてどれでしょう。皆様のご意見をメールにてお待ちしています。正解者の中から抽選で1名様に「東京タワー展望室チケットの半券」をプレゼントします。(送料当選者負担)

 ってことで、私が途中の展望室までしか行かなかったんだなとバレてしまいましたが、ところがナント、ふんぱつして「蝋人形館」にも行って来たんですねこれが。

 これがまた渋い。リンカーンがいたと思えば長嶋さんもいる。毛沢東がいるかと思えばドラキュラもいる。すごいのは、キリストと12人の使徒の最後の晩餐(蝋人形版)の先には、東京タワーの創設者のオジサンが立っていたりする。

 いたいたブッシュもいたよ。辺りを見回した後、世界を代表して一発お見舞いしてから、赤のマジックで鼻のところタラーッと書いて来たよ(嘘)。

 それから拷問の怖い蝋人形もあった。これは確か私が子供の頃見たのと同じだった。すごいロングランだ。よっぽど流行っているのだろう。

 その後は良く知らないハードロックスターの蝋人形が並ぶ。おいおいスタッフの中にハードロックファンがいるんだろ絶対。知らないぞこんなの一般の人は。

 やっぱり洗練された東京人は行かない方がいいなきっと。ちょっと混乱して感性が壊れるかもしれないからな。

 

2004.1.23

 

 

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-47-◆A.R.B.の「HOLIDAY」

 今や家庭でも車でも音楽を聴くのはCDやMDになってしまった。アナログレコードはおろかカセットテープを聴くことができない人も実際増えている。

 2年くらい前、バディ・セイのデモテープを配布した時も「カセットだときけません」という声が何件かあった。確かにCDやMDだと聴く側に立つとパッとしない曲はポンポン飛ばせるし、パソコンなどにも取り込めたりと使い勝手が非常に良い。

 しかし裏を返して創り手側からすると、曲を最初から最後まで聴いてもらえない可能性が高くなる。「この後半部分の盛り上がる感じのアレンジが売りなんだよな」なんて曲づくりが出来なくなる。

 つまりどうなるかというと、イントロ勝負、アルバムならば1曲目、2曲目が勝負となるのである。ねえ、つまらないでしょう。10曲をとおしたコンセプト・アルバムなんていうのが消えていくし・・・。

 でも音質はいいし、実際録音作業の大部分は今やデジタルなのだ。取り直しもしやすいし、テープ代なども最小限で済む。

 こういう機器の流行の移り変わりは早い。パソコンだってフロッピーなんて今ほとんどないし、MOだって見なくなった。CD-Rが主流だし、映像の世界もVHSからDVDになりつつある。私もHi-8で撮りためたテープをどうしたものかと悩んでいる。デッキが壊れたらもう売ってないのでおしまいである。

 まあ簡単に言うと、多くの人に自分の思いを伝えるという仕事をしているのだから、その源泉である思いをきちんと形にできれば媒体はなんでもいいんじゃないかと思うのである。(中にはマニアックにアナログ盤の深みのある音域がいいんだよという方もいるかとは思うが、それはそれでいいんじゃないの)。

 いやいや前置きが長くなったが、実は昔のカセットテープを引っ張り出して聴いていたらA.R.B.が出てきて、その中の「HOLIDAY」という曲を聴いていたら無性に熱いものが込み上げて来て自分でも驚いた。

 という事を書きたかっただけなのでした。

 

2004.3.5

 

 

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-48-◆腰痛に苦しむ

 大変である。腰を痛めてしまった。いわゆるギックリ腰というやつだ(たぶん)。どうしてこうなったかというとタンスを動かしたからだ。

 新しいピアノ購入にともなって、タンスをとなりの部屋に移動することになり、若い????私は一人でそれに挑戦した訳だ。

 なぜ一人でそんな無謀な挑戦に至ったかを簡単に書かせて頂こう。

 タンスとか本棚とか大型の家具は本来頻繁に動かすものではない。しかし、昔は和室がほとんどだったから3〜5年に一度くらいは畳替えのために家具の移動を余儀なくされた。

 ここに私はヒントを見いだしたのであった。(さすがバディ!)

 子供の頃、家の畳替えの時のことを思い出してみて欲しい。畳屋さんがタンスの中身をいちいち出すことなく、ひょいっと少し持ち上げて木の板のようなものをはさみ、スーッと動かしていたのを覚えていないだろうか。

 「これだ!私の求めていたものは!」

 軽くするためにタンスの中身を出したり、本棚の本を出したりなんてしていたら、畳屋さんは仕事にならないのだ。かといって畳替えを頼む家の人が全て家具も移動して和室だけ空っぽにしてくれるなんてことは九分九厘ありえない。

 やはり昔の人はエライ!頭を使って工夫するんだよね。これぞ匠の技って感じなのだ。

 私はこれを真似て、タンスの引き出しを出すこともなく、タンスの下に段ボールの切れ端をひょいと入れた。するとどうでしょう、タンスはスイスイ滑るように動くではあ〜りませんか。

 これに気をよくした私は、本棚もススイのスイと動かし、衣装ケースまでひょい、ひょい、次もまたひょいっと・・・ギクッ・・・・「ウギャー!」。

 とまあこんな具合にギックリ腰になった次第なのである。

 それから一週間は仕事にならなかった。病院でリハビリやったりして苦しみましたよ。コルセットしていたので歩き方も変だった。

 みなさんも三十過ぎたら頭で出来ると思っていることの半分は無理ですので気をつけましょう。もうあなたもナウなヤングではないのだから。

 

2004.3.19

 

 

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-49-◆銀座アップル・ストア

 銀座のアップル・ストアへ行って来た。素晴らしい。夢がある。そして、絶対に新しいMac.が欲しくなる。もう買った時点で「Garage Band」なる音楽作成ソフトがついてくるのだ。

 これに比べたら今まで私がG3上で使っていたソフトなんて、子供のおもちゃであった。音質的なことはもちろんのこと、操作性が複雑で使い勝手が悪かった。それがどうであろう、ここ4〜5年のパソコンとそのソフトの進化の早さときたら、もう本当に2〜3年単位で浦島太郎状態になってしまう。

 私は、プレイヤー(サポート・ミュージシャン)用サンプルや音楽関係者へのデモ音源を作れることがまず第一条件。

 次にインターネットのブラウザとメール機能の充実。

 そして最後に表計算やデータベースなどのビジネス機能があること。(今までのデータが使えること)。

 おしゃれなエレベータに乗って階上に上がると、シアター・スペースやインターネット・カフェ、キッズ・コーナーなどあり楽しくなる。1階では若い説明員が丁寧に色々と教えてくれる。

 その日はとても疲れていたが、「あー、いいなあ」と一瞬夢を見ることができて幸せだった。「よーし!一所懸命働いて新型Mac.購入するぞー!」

 もちろん、その後「銀座ライオン」で一杯ひっかけてから帰ったことは言うまでもない。

 

2004.4.22

 

 

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-50-◆至福の瞬間

 山の緑に沈みゆくオレンジ色の大きな夕日。自然のホリゾントが徐々に灰色を増していく。そのまだ明るさの残る夕空に三日月と金星が光っている。

 全てを終え身支度をして帰路に着く。その頃には足下もおぼつかないくらいの闇の空間の中に私はいるのだ。

 池の方向からは蛙の鳴き声、そして森の奥深くからは大型獣の鳴き声が暗闇に響き渡る。

 駐車場に向かい歩く私は、一日の疲労と精神的重圧から解放されたどこにでもいる労働者だ。

 これが今の私の一日の終わりの至福の瞬間なのだ。

 

2004.6.3

 

 

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