◆趣味
勉強
◆影響を受けた人物
ヴィト・コルレオーネ
◆生い立ち
北欧の自然に囲まれた小さな町で生まれたとされる。木、草、花、昆虫、動物たちとともに遊び多くを学ぶ。
物心がつくとふと一人旅に出る。小さな村々を訪ねては、自作の詩を読んだり唄ったりして過ごす。山深い村の年寄りや子供たちから、町にはなかった色々なことを学ぶ。
働くために都会にでる。小さな店で住み込みで働く。現実の世界に初めて直面し、精神的挫折を味わう。
心機一転アメリカへ渡る。ニューヨークの下町のストリートで身を粉にして働く。多くの怪しい大人たちから世の中の仕組みについて学ぶ。
ジョージア、フロリダ、テキサス、カリフォルニア、カナダを旅行する。多くの人・自然とふれあいながら自分自身について熟考する。この旅の途中、インターネットと出会い、自らの欲求である「意見を提示すること、思いを書き記すこと、それらを体を使って表現すること、それが私の生きている証なのだ」という命題を導き出す。
自らのルーツを求め日本へ渡り東洋思想について学ぶ。そしてあらゆるメディアを利用して、導き出した命題を裏づけるかのように今も活動を続けている。
◆好きな音楽
ドボルザークの家路(新世界)
◆家族構成
ノーコメント
◆好きな風景
山の中の湖のほとり
◆好きな食べ物
ピュルツェル、おにぎり
◆女性関係
各地に多数(結婚説あり)
◆抱負
地球汚染ストップに、全ての人の意識が向けられ実践されることのために働くこと。(あくまでも第一歩である汚染ストップが必須であり、環境保全は次の段階と考える)
人として悟りをひらくこと。
◆職業
旅人
◆国籍
地球人
◆超目標
人のために生きたい
青い星を守りたい
自然の中にいたい
(1998年実行委員会有志のアンケートに回答されたもの)
バディ・セイについてもっと知りたい人は・・・
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バディ・セイ独占インタビュー(2001.12)
我々バディ・セイ
ホームページ製作実行委員会は、かねてからバディ・セイとのインタビューを実現するためにバディサイドとの交渉を続けてきた。今まで、ミニコミ誌のインタビュー記事(2年前に当HPでも紹介)はあったが、それ以外、彼の言葉をストレートに伝えるものはほとんどなかったに等しい。このホームページでも彼の直接の言葉の窓口は、彼から一方的にしかも不定期にデータで送られてくるクロニクルのページしか存在しなかった。当ホームページでは単独でのインタビューに今回初めて成功した。なんとミニコミ誌のインタビュー記事から2年の月日が経過していた。今回は質問のポイントを絞り、なるべく多くのファンの疑問に横道にそれることなく答えてもらうことに留意した。
・・・質問のポイント・・・
1、これまでの活動について
2、ライヴ活動について
3、現在進行中のプロジェクトについて
4、今後の大きな流れについて
5、ファンへのメッセージ
※インタビュアー(実行委員H氏):IV バディ・セイ:BS
IV :地元ミニコミ誌のインタビューから約2年経ちましたが、これまでの活動について、ご自身の手応えや反省点などをお聞かせいただけますか?
BS :2年前というか、私がパフォーマーとして創作を始めた頃と基本的な“思い”は何ら変わっていません。私は私なりのアプローチで自作の楽曲をリリースしてきただけです。そして、あらゆる方面からのオファーに対して、ひとつひとつじっくりと考え対処してきたつもりです。その結果が今の私です。今まで言ってきたことを実行してきただけのことです。私は大勢のCDなど買ったことのない人たちに私のメッセージを聴いて欲しいと願ってきました。既製の流通経路の他に、もっと地道な方法も取り入れなくてはならない。それをコンサート活動に求める人もいれば、路上でのパフォーマンスに求める人もいます。私は有線やインターネット、コミュニティー単位のイベントなどを通じて活動を展開していくやり方を選びました。またデモテープにしても、1曲につき500本くらいの割合で独自のルートを通じてリリースしています。その他にホームページを通して正式に請求してくるケースもどんどん増えてきています。そんないくつかの糸が、積み重ねによって一本の太い綱になっていくのだと私は確信しています。そしてその手応えを今私は感じています。
IV :要望の多いライヴ活動については、現在どのポジションにおかれているのですか?
BS :パフォーマンスには常に興味を持ち続けてきました。テキストやテープなどの媒体を介さずに直接的に自らのメッセージを伝えるライヴという場は確かに必要です。でもそれが全てではない。私は創作活動のひとつの方法としてそれを捉えています。たまに「定期的にライブをやらないのですか」などと聞かれますが、「やるべき時が来たらやります」と答えます。6月のクオンでのライヴも私の中に一つの理由があって行いました。10月のガソリンズとのライヴもこの時期やる必要性を感じたから行ったのです。決してライヴから遠ざかっているわけではありません。その間にも郊外のイベントで唄ったり、色々なパーティーでセッションをしたりとオープンにしていないところでバディ・セイはラジエイトしています。一週間に一回、決まった場所でライヴをやるということに必要性を感じ、そのような機会に恵まれれば、何のためらいもなしに私はステージに上がるでしょう。パフォーマンスについては、昔も今も常に心のセンターにある私にとって最重要項目です。しかし、企業のように毎週月曜日の9時から定例ミーティングだよ、みたいな訳にはいかないし、そうすべきではないと思っています。
IV :バディ・セイとしての活動以外に色々な方と組んでの仕事も多いと聞きました。現在進行中のプロジェクトについて教えてください。
BS :ホームページでも紹介されている『ビヴァリー・ブラザース』については、相棒のノビー・Tと曲づくりを進めています。デモも1曲録音済みです。何らかの形で発表していきたいと思っています。あと、複数のミュージシャンと組んでのコンサートも企画中です。一人で演奏して唄うのとは、また違った醍醐味がそこにはあります。アレンジなどもディスカッションしながら良い雰囲気で創り上げたいと考えています。あと、他ミュージシャンのデモづくりのサポートの話や変わったところでは、ソウルバンド『ソウル・ビー・ファミリー』とバディ・セイの司会をセットで、パーティーや結婚式の仕事をとってドサまわりしようなどという企画もあります(笑)。
IV :その中で、今後の大きな流れの中心は何ですか?
BS :全てです。今までと何ら変わりません。自分のやるべきことをやり、来るモノは拒まず、吟味の上、必要性を感じればあらゆるオファーに応じていきたいと考えています。
IV :最後にファンへ一言。
BS :世界中のムードが暗く沈みがちではありますが、とにかく止まらずに歩き続けましょう。時代に左右される生き方ではなく、日々の積み重ねで新しい時代を我々の手で創り上げましょう。全てのあらゆる事柄が、絶妙のバランスで合致した時、そこにバディ・セイは成り立っています。そして、あなたも、全ての人々も、世界も成り立っているのですから。
IV :どうもありがとうございます。
BS :こちらこそありがとう。
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バディ・セイ、ミニコミ誌インタビュー(1999.10)
今まで謎につつまれていたバディ・セイが初めて地元のミニコミ誌のインタビューに応じて、創作活動のコンセプトやアート全般における考え方を語ってくれた。今までは間接的にしか伝わってこなかったバディの内面を知る上でファンにとっては貴重なデータとなること間違いないだろう。
※インタビュアー:IV バディ・セイ:BS
IV :おはようございます。本日はよろしくお願いします。
BS :%$#&)〜=$%%#”&。
IV :(あっけにとられる)あ、あの、日本語でお願いしたいのですが?
BS :(笑)オーケー、よろしく。
IV :ではバディ、まず最初に、あなたは国籍不明の地球人ということですが、今までの資料を拝見しますと北欧生まれのアメリカ育ちということになっています。国籍はともかく、あなたのアイデンティティを司る根本的なテーマとはなんですか?
BS :最初から鋭い質問ですが、とてもいい質問です。私は多くの人たちに揉まれて生きてきました。それは、大人から子供まで幅広い世代の人たちと接触し火花を散らして来たということです。私の生まれ育った町はそういうところでした。例えば現在の日本の17歳問題などを見ていると、正にこの他人との接触の機会が少なくなってきているのが原因ではないかと思うのです。
IV :具体的には?
BS :つまり生まれ育った地域、その地域が共同体として機能していないのです。昔もギャングまがいのグループは町の中にいくつもありました。しかし、そこには明確な共同体としてのルールがありました。そこからはみ出さない限り我々はその一員でした。仲間、敵、親、教師、地域の人々という共同体の中で少年達はグループ同士で接触し合い、他人との距離の取り方、すなわち人間関係の技術を生身で体得していたのです。それが私の根本にある私自身のアイデンティティであり財産です。
IV :つまり国家や生まれ故郷よりも、ベースにあるのは人と人との接触なのだと?
BS :その通りです。
IV :バディの創る曲についてもその影響はとても強く感じます。でも、もっと分かりやすくバディ・セイの音楽を説明していただけないでしょうか?
BS :簡単に言うと私は人生とは苦しく辛いもの、というところから出発しています。多くの人は実際そうでしょう。毎日毎日を必死で生きている人たち、そんな人たちが生活するそんな街角の声を歌にして唄いたいと思っています。満員電車にもまれている、しがないサラリーマン、それがバディ・セイの正体なのかもしれませんし、家事に明け暮れる主婦(夫)なのかもしれません。
IV :そういう市井の人々の中に音楽的テーマがあると?
BS :今、日本の音楽シーンにないものイコール売れないと思われているもの、それを目指しています。つまり私のような「しがない三十男の魂の歌声」など見向きもされないということです。しかし、しがない日常を送っている人が圧倒的多数なのがこの世の中です。そんなCDなどめったに買わないような人たちが共感してくれるような音楽が私は好きです。
IV :でもCDがあまり売れないのではバディの音楽を聴いてもらえる機会が増えないのでは?
BS :それは違います。確かにアイドルのように爆発的なブームはありえないでしょう。私が考えているのは、ラジオや有線、そしてケーブルテレビ、インターネットといった公共のメディアなのです。そこでどれだけ多く私の音楽が流れ、それがいかに多くのしがない人々の耳に入り、共鳴してもらえるかということにしか、私は興味がありません。CDショップでCDを買ってもらい、「ハイ毎度あり・・・」というスタイルではないのです。あえて理想を言わせてもらうならば、音楽は空気と同じで誰のものでもないのです。音楽は常にフリーで常にあなたのそばにあります。
IV :バディの曲は明るいものから、重いテーマの悲しいものまで幅広くありバラエティ豊かに・・・
BS :(途中でさえぎり)それが人生です。私は「男の哀愁」「男の苦悩」「男のいやらしさ」「男の弱さ」「男の底力」「男のロマン」、これらをテーマにして、誰にでも聞き易いポップなテイストの曲を提供しているだけです。
IV :もう一つ質問です。バディにとってアートとは?
BS :「人生における単なる付加価値程度のもの」。生活に疲れ、悩みながら、その中のちょっとした楽しみや幸せを満喫したりなどして生きているのが私達です。その中の隅っこの方にチョコンと一服の清涼剤としてアートが存在している。生活に変化を、精神に刺激を我々は常に求めているから、アートの位置づけも「付加価値程度」のものでもあり、また時と場合によっては人生を左右するような必要不可欠なものにもなるのです。
IV :残念ですがそろそろ時間です。バディ、ファンへメッセージを。
BS :みなさんの中には、私が遠回りをしているように思われる方もいるかもしれない。でもこれが私のやり方なのです。少しづつでもいい、私の作品がみなさんの目や耳に届くことを願って止みません。これからも応援してください。
IV :ありがとうございました。
BS :ありがとう。
「さあ ! 世の男たちよ、立ち上がれ!」
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